更新~外郎売研究室

昨日お話ししました外郎売について。
日高晤郎さん版の台詞を固定ページに記載しておきました。
今頃ですが、、、。

< 外郎研究室:外郎売~台詞

この歌舞伎の外郎売は、江戸時代の享保三年正月に、二代目市川團十郎が中村座で初演。
しかしながらその時の台詞は正確な形では残されておりません。
というのも当時は役者の台詞を聴き取り、別の役者さんなどが各自で書き留め記録して行ったものだとか。

歌舞伎 外郎売の図

なので時代を経るにしたがって細部が微妙に変わっていき、幾つかの台詞が存在するのです。
実際に、小田原の外郎家に伝わる台詞と、日高晤郎さんの台詞も微妙に違っています。
その理由が、二代目市川團十郎の演目に台本が無かったからだとも言われています。

自らの病を治してくれた外郎家と、そこの妙薬「透頂香」への感謝をこめて生み出された演目です。
練り上げるまでは團十郎さんの覚え書きはあったのでしょう。
歌舞伎十八番
ところが初披露までには当然台詞が頭の中に入っています。
その折に台詞書きが文字の形で残っていなかった筈です。
というのも当時は決められた台本が無かったと文献に書かれていますから。
何でも、舞台での台詞を他の役者や弟子たちは、自分の耳で聞きそれぞれに書きとって覚えたと言います。
それが代々続くと、途中で少し文字が入れ替わったり聞き間違ったりもあったでしょう。

春駒祝高麗

また初披露後、各地各座で外郎売が披露されていくわけですが、團十郎さんの中でも演目がさらに練り上げられて行って、微妙な台詞回しが変化していった可能性も考えられます。
なので、そこここで聞き取りとして残された外郎売台詞が違うのではないかと私は思うのです。

もちろん。
台詞が違うと言っても、大筋では同じ内容であります。
この点も、よく考えると実に凄い事だと感心させられるのです。

歌舞伎座
さてそんなところを頭の片隅に置いて、日高晤郎さん版の外郎売の台詞を読み返すと、実に興味深いものがありますよね。
あ、そうだ。
同じく外郎売研究室に、外郎家にあった「外郎賣臺詞」も近いうち並べて記載しておきましょうか。
比較できますしね。
ということで、固定ページ外郎売研究室、久々に更新しましたというお知らせでした。
外郎売

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