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☆鴨井さんのコメントを受けて
返信① 仰る通り、私の自由です!
鴨井さんが仰っているのは、党首百田尚樹氏と、私が支持している小野寺まさる氏に対する問題点のご指摘です。
その二人が許せないので、日本保守党は酷い政党だという結論は、私には理解できません。
あくまで、私は理解ができないというだけです。
ではその百田尚樹氏が問題発言を幾つもされています。
それで政治生命を絶たれているでしょうか?
私が奇異に感じているのはそこでした。
一般的に暴言暴論だと言われているならなぜ、大事にならないのでしょうか?
差別的で偏見でいい加減だと鴨井さんは結論づけております。
私も疑問に思っていろいろ調べてみましたが、百田氏は作家でありそれもベストセラー連発。
これは出版業界の内側に片足を踏み入れて私も知った事なのですが、暴論暴言の線引きってどこで行われているとお思いですか?
百田氏は、そして作家でもありつつ、探偵ナイトスクープの放送作家を30年ほどやっていました。
つまり、ここまでの発言ならセーフというラインを晤郎さんと別角度で熟知しているのです。
美辞麗句に慣らされた現代人の注意喚起を惹くためにも、そのギリギリのラインを突くとういうやり方、私は懐かしいと感じました。
そして小野寺まさる氏。
アイヌ差別発言と仰いますが、具体的に差別発言とされるものが、私もここ1年随分調べてきましたが、私には見当たらないのです。
小野寺さんは15年程前から、政治的にアイヌを利用して発生している利権や、不透明な巨額の税金投入について日本で最初に斬りこんでいる人なのです。
人や民族ではなく、その裏の政治システムに対する追及。
これが差別になるとは、この点も私には、鴨井さんが仰ることが到底理解できないのです。
また現在では小野寺さんだけではなく、多くの人たちがアイヌ問題の裏の不透明さに疑問を持ち調査を始めております。
そういった人たちを含め、私は私が作ったフィールドで、私の考えを述べただけです。
それに怒りをお覚えになるのは、それも自由です。
これは本気で素晴らしい事です。
なにより良くないのは、意見を持たないという事ですから。
これが私の中に息づく、晤郎イズムです。
返信② 正しい怒り
鴨井さんは「いただけないのは、、、」とこう書いておられますので、それいがいのことはまぁゆるせるとして、この事がどうしても看過できないと、次にこう書いてらっしゃる。
つまりここが、私の文章で、大の日高晤郎さんファンである鴨井さんが絶対に許せなくて今回のコメント投稿に至った最大の理由ということですね。
それは。
「日高晤郎と百田の笑いの取り方は全く違う」
というこの一点。
(これに対する私の考えは、先の放送作家百田直樹氏のところで述べました。)
更に。
「鴨井さんが聴いてこられた日高晤郎ショーの世界と、日本保守党の中身が余りにも剥離(乖離)していて怒りを感じた」
とも書いてらっしゃる。
当たり前だと思うのですけれど。
方やラジオ話芸、片や政治政党。
中身が乖離しているのではなくて、別物なのです。
笑いの取り方と言いますか、話芸(これもエンターティナーかポリティクスかの断然とした違いがありますよね)の本質が、私は、私が作ったフィールドで、私の感想というか考えを述べただけです。
それだけの事なのであります。
但し。
私は長年、日高晤郎ショーを聴いていただけではなく、実際の現場に何度も足を運び、晤郎さんとチラチラとですがこういう政治に対する考え方などについても直接言葉を交わしております。
その後、私なりにその言葉を熟成させ、人生の終盤に行動に移し、そこで得た考えを文章にまとめたのです。
鴨井さんが感じてらっしゃるほどいい加減には書いておりませんが、晤郎さんの言葉をお借りしますと「良い加減」には書いておるつもりです、、、が、まだまだ未熟でありますねぇ。
でももう一度言います。
私と鴨井さんでは考え方も人生観も違うのは当たり前です。
どうかその怒りを、鴨井さんの受け取った日高晤郎さんを次の世代に伝えるためにお使いください。
芸人は多面体ですから、鴨井さんの観た日高晤郎さんの面と、私が観た日高晤郎さんの面は、当然、違います。
そういう事です。
返信③ 不愉快への対処法
鴨井さんは、本当に日高晤郎ショーを愛しておられる。
それが真っすぐに私にも伝わり、それが嬉しくて、私もこうして真正面からお応えさせていただきました。
そしてお怒りの理由というより、その感情はとてもよく分かります。
なんであんなものと、私の大事なものを同列に語るのだというお怒り。
その怒りはとても大事だと思うのです。
ただ。
鴨井さんと私の人生観や、話芸に関する考えなどが根本から違うのでしたら、こういった一般人の私が、次の世代のために日高晤郎さんというラジオ話芸人が居たこと、ひいては日本の話芸の素晴らしさを伝えようとチマチマ書き綴っているサイトをご覧になるのは、不愉快なだけだと思います。
そこでご提案。
日高晤郎さんを愛するという気持ちの一点は、同じだと思います。
なので私のサイトが許せないのであれば、鴨井さんもサイトを立ち上げ、日高晤郎さんを語り継いでみませんか?
例えば鴨井さんのコメントに「現在日高晤郎ショーでにトークは、コンプライアンスに引っかかるところが多くある。でも晤郎さんなら、あたらしい笑いの面白さを見せてくれると思う。」とありますが、鴨井さんならその新しい笑いとはどういうものだと考えてらっしゃるのか、とか。
ある程度具体的に書くことで、そこに論議も生まれてきます、これが大事なのだと私は思うのですよね。
はい書きました、ハイ終わりですでは進歩も刺激もありませんので。
ちょっと大変ですが、始めたら面白いですよ、考えの整理もできますし。
そういうことを言いながら私もこういうのが苦手で、でも日高晤郎さんを次の世代に遺したいという一念でサイト構築の勉強をして、なんとかここまできました。
その過程で、私のサイトに書いてあることが許せないというテーマも一部設けていただいても、私は一向に構いません。
先程も申しましたように、芸人さんは多面体です。
私のサイトは、私から視た日高晤郎さんしか書けないのです。
こういう場合、考え方が違うというのはとても大事な事です。
私が、日高晤郎さんと日本保守党を一緒に語って不愉快と仰るならば、違う世界観を鴨井さんが描けばよいと思うのです。
その際私は、(こういう言葉の世界ではエスカレートしてまま見られることなのですが)プライベートを攻撃される以外は、何を書かれても法的対処は致しませんので、どうぞご安心ください。
日高晤郎さんを愛する気持ちは、同じですから。
☆朝刊拾い読みの精神
鴨井さんからのコメント、本当に嬉しかったので、正面から返させていただきました。
私が日高晤郎さんのファンになったのは、朝刊拾い読みなどのコーナーからだというのはずいぶん前にここで書かせていただきました。
九州から北海道に来て、貧乏でラジオしか買えなくて、土日の仕事休みは腹が減るので部屋でじっとして水を飲みながらラジオを聴くのみ。
そんな状況で出会った日高晤郎ショー。
私の心をつかんだのは、差しさわりの無いコメントしか聞こえてこなかった私の知ってるどのラジオ番組より鮮烈。
何より、言いたいことをスパッという快活さ。
これは同時に、相当叩かれるのを覚悟のうえでの論陣です。
言い切るには、裏で相当な勉強量が必要。
そんな感じで、私は晤郎さんの裏側の努力に惹かれて行ったのです。
今回、私は私の頭で考え、実際に足を運び、おおよそ全政党の講演会などを聴き、その上でここなら間違いないと確信して、日本保守党の選挙活動を手伝いました。
この事で、反発を感じる方が出てくるのを承知のうえで。
これが私の中に生きる晤郎イズムです。
最後に日高晤郎さんの言葉を。
「これは私の考えです。意見です。しかも相当勉強したうえで導き出した結論です。
だからそれに反論するためには、あなたは私以上の勉強をやる必要がある。
でもそんなことをするよりも、ああアイツの意見はこうなんだな、でも俺はこう思うんだよな。
というふうに考えていくのが健全だと思います。
私の意見や考えは、あなたの考えを浮かび上がらせるための一つの手段だと考えてほしいと思います。