同じ追悼本でも、、、

☆晤郎さんファンに圓生さんを勧めてみた

最近私は、圓生さんづいてる。
そりゃもう、このblogに取り上げる頻度から見ても明白。

第一、芸が深い。
そして人生の終盤の大仕事と去り際が、晤郎さんに重なってしまう。

つい先日、私より若い晤郎さんファンと話す機会が有った。
そこで圓生さんの落語を、何も言わずに勧めてみた。
即、その夜に感想ラインが届いた。
「まるで晤郎さんみたいじゃないですか!!すごい!!!」

そう。
分かる人には分かるのだ。
私達は日高晤郎さんに「聞く耳」も育てられた。
だから三遊亭圓生さんの凄みも聴き取れる。
六代目三遊亭圓生ベスト

☆圓生の録音室と、日高晤郎フォーエバー

先週お会いした晤郎ショー常連さんの大先輩とも、こんな話をした。

発売当時は販売の邪魔になるかもしれないので表現を濁したのだったが、、、。

「日高晤郎フォーエバー、どう思われます?公と私をきちんと区切ってらっしゃった晤郎さんへの冒涜に近い表記も有ったので、私は資料としては買いましたが、どうも好きじゃないんです。」
それを聞いた常連さんはたった一言。
「俺は立ち読み途中で止めた。ありゃ駄目だ。」

私達は晤郎さんに、「読む目」も育てられているから。
どうしても行間の見過ごせない部分が目についてしまうらしい。

日高晤郎フォーエバー表紙

だから、だ。

六代目三遊亭圓生さんにホッと胸を撫でおろしている処。
同じ追悼本でも、雲泥の差。
著者の、圓生さんに対する敬愛と後世に対する思いが行間からあふれている。
読み始めて数ページで、こうでなくっちゃ、と膝を打った。
圓生の録音室 初版

芸人を後世へ遺すための本と申しますのは、こうでなくっちゃいけません。
そう思いつつ、膝を打った。

そういうわけで最近私は、圓生さんづいてる。

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