噺の面影~白湯余話

☆噺の初め~京須偕充 著「これで落語がわかる」より

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むかしの名人はすぐに話し出さなかった、とよく言われる。
お辞儀をして、頭を上げて、おもむろに右手を伸ばす。
左手は膝の上にきちんと置かれたまま。

はなし家の右側、下手寄りに置かれた火鉢には鉄瓶が乗っている。
鉄瓶を持ち上げ、右膝前あたりに置かれた湯呑みに白湯を注ぐ。量はさのみに多くはない。

鉄瓶を火鉢に戻し、湯呑みを口元へ運ぶ。
(中略)
軽くすすって口を湿らすだけだ。
湯気を吸って咽喉を湿らすのだとも言われる。

湯呑を戻し、軽く咳払いし、懐から懐紙を一枚取り出して口に当てる。
いまの咳払いで痰が出たのか出ないのかはよくわからないが、口元を拭い、紙を小さくして懐へ戻すか袂へ入れるかして始末をする。

このあと、一段とおもむろにもう一度白湯をすすることもある。
とにかく一呼吸あって、改めて客席と視線を交わし、「えェ・・・・・・・」と呟くように話し始める。 

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京須偕充 著 「これで落語が分かる」
弘文出版
本体1,100円+税
九十三頁より抜粋
京須偕充 著 「これで落語が分かる」

☆晤郎さんの話芸と、落語

晤郎さんの話芸というモノが何であったのか。
晤郎さんが旅立たれてから、手探りで考えている。
それで昨年秋にたどり着いた一つの方向が、江戸落語。

著者の京須さんは、圓生百席を始めとした落語音声保存の第一人者。
現在でもTBS落語研究会の解説者を務めてらっしゃる方。
それで私はこの秋から京須さんの著書を片っ端から呼んでるという次第。

そして先ほど、最初に抜粋した箇所に行き着いたという訳。
明治 寄席

晤郎さんの話芸への落語の影響というのは、またおいおい語っていくとして、今日は白湯についての続き。

☆高座と白湯

落語家が寄席とかで落語をご披露する場所。
これを高座と言います、舞台とは言わない。

昨日このブログで、ほんのちょっと、噺家(落語家というよりこちらの方が良い)さんと白湯について触れた。
 ※(ブログ記事 お湯と白湯の違い
それがまたなんと、その翌日の読書にそのことが詳しく書かれてた。
だから冒頭に抜粋したのだけれど、それだけじゃ芸がない。

上の写真は、というか絵は、明治のころの寄席の様子を描いたもの。
その高座を拡大してみると、映ってました、火鉢と薬缶。
それがこちら。
明治の寄席と高座の白湯
なんとも風情があります。

そして時代は昭和に移り、色物(落語と落語の間に入れる落語以外の芸で、寄席に彩を添える芸。例えば「紙切り」例えば「漫才」例えば「手品」など)での舞台設営に手がかかるようになり、その度に白湯を湛えている火鉢の移動が大変という事になって、高座の火鉢は廃れていったのです。

その名残というか、なんというか。
六代目 三遊亭圓生さんの動画を見て、いっぺんに虜になりました。
火鉢があったであろう場所に、蓋つきの湯呑み。
中身は白湯。
それをまた、噺の中途で実に見事にすすっておられる。
白湯の頂き方さえ、「芸」として成立しているんです。
あ、これがそんな感じの写真(圓生百席より)
圓生百席 牡丹灯籠
あるでしょ、蓋つきの湯呑みが。

健康法だけにとどまらずあの時晤郎さんが、私の白湯発言にけっこう反応されたのは、こういう事もあったんじゃないかなと思うんですよね。
そう思わせる要素が、三遊亭圓生さんを調べていて、随所に出てくるんです。

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