晤郎さんの不運・ファンの不幸

☆日高晤郎さんの話芸二作品

晤郎さんの話芸は多方面に伸びていました。
ラジオ話芸
司会芸
朗読芸
案内話芸
ディナーショー
まだありますが、これは言っておきたい「語り話芸」
日高晤郎語り芸最初のDVD化

独り語りとして、その舞台に魅了された方も多いですよね。
私もその一人。
その晤郎さんの晩年「一世一代・紺屋高尾」は、これまた佳かった。
こういう作品を何故商品化しないのだろうと思いますけどね。
以前に演られた紺屋高尾はDVDになってますが、私が言っているのは「一世一代・紺屋高尾」
それと桂文京伝もDVDになってますけど、この二作品にとどまってる。
それがなんとも実に悔しい。
晤郎さん語り芸DVD化第二弾

ところで、晤郎さんの話芸の背景を色々調べていて行き当たった一つが、六代目三遊亭圓生さんだというのを私はこれまで幾度も書いてきました。

☆六代目 三遊亭圓生

演目の広い噺家さんで、名人。
その中には紺屋高尾も有るし、これも晤郎さんが演った「澤村淀五郎」も有るんです。

圓生さんの、スタジオ録音完全盤「紺屋高尾(芸談付き)」を先日初めて聴いたのですが、なんと晤郎さんの高尾を聴いているようでした。
声の抑揚、人物描写・場面描写、間。
晤郎さんの語り芸がお好きな方は、是非とも圓生さんの噺もお聴きいただきたいですね。
圓生百席 紺屋高尾

さてその圓生さん。
ご逝去後にも実に膨大な著書や研究本が出版され続け、資料豊富で確実に後世に伝わっていく体制がとられています。
何より圧巻なのは「圓生百席」
圓生百席完全盤

217,000円しますがね、現在完売状態。
困ったもんです、私がいくらほしくても買えない。
先日宝くじで大当たりしたので、簡単に買えるんですが、モノが無い。
モノが無いんだから、宝くじで大当たりなどという嘘も大きくついてみた。

この圓生百席たるや、江戸や明治の話芸継承の正統的系譜である圓生さんの噺を、録音として体系的に遺した資料としても貴重な存在。
出囃子・送り囃子も全て、作品ごとにすべて違うものを圓生さんご自身が選曲。
その編集作業にすべて関わって、「あたくしの芸が後世に伝わるんですから、いい加減なものはやりません」と完璧なまでに仕上げた録音集なんです。 
圓生さんはこの「圓生百席」を仕上げた3週間後、高座で小噺を披露したあと、その楽屋で急逝。
色んな意味で、名人の遺作なんです。

☆文化伝承者の在・不在

幸いに、六代目三遊亭圓生さんには幸いに、伝承者が居た。
これはお弟子さんとは別に、「資料」として後世に伝えようと尽力した方が。
その最大の立役者がこの方、京須偕充さん。
京須偕充さん
ソニーだったかな、音楽プロデューサーだった方。
現在でも、落語のTV解説などをされていて、時折テレビ越しにお目にかかるときがあります。

江戸時代に寄席が形作られ、それまでは口述速記という形でした過去の名人の噺は残っておらず、昭和に入って少しずつ録音物も出てきてはいた頃。
名人圓生の噺を、無観客のスタジオ録音で、しかも本人が納得するまで録り直しまでして完全な話芸を音声データとして遺したのは前代未聞。
、、、これを晤郎さんがお聴きにならなかった筈がない。
いや多分、お持ちだったのかなと推察されます。
とにかく、晤郎さんの紺屋高尾がかなり圓生風。

噺、、つまり平たく言うと落語は演者の解釈なんですね。
同じ噺なのに、演者によって色んな色に染まっていく。
その色が、晤郎さんと圓生さんでは同じなんです。

そして我らが晤郎さんの語り芸のDVDはわずか二作品。
日高晤郎さんには、圓生さんに対する京須さんのような存在が居なかったことが不運だったのです。
そして作品が多く遺されなかった晤郎さんの記憶は、多くのファンと共にいずれほとんど墓の中に持っていかれることがファンの不幸になる。 
私はそのように思っています。
一人語りの会 テレビカメラ
でも、、今からでも、本気になれば音声データが膨大に残っているとこには残っているはずでしょう?
映像データも。
見たんだけどな、あのステージで、あの舞台で、公式に映像音声データ収集している方たち。

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