失われゆく江戸の面影

☆江戸文化伝承の四障害

江戸時代と言うのは、おそらく晤郎さんファンだったらほとんどの方が「好きな時代」とお答えになるのではないだろうか?

晤郎さんがラジオで紡ぎ続けられていた言葉の裏側には、歌舞伎や川柳そして落語と随所に江戸の香りが散りばめられていた。
正しくは、「明治」というある種の漉し布を潜らせての「江戸」だけれど。

これはあくまで私個人の推測だけれど、戦の治まった江戸時代に、大衆の文化としての日本語は熟して行ったのだろう。
言葉に、哀しみや可笑しみ、そして風刺や哲学を練りこみ熟成させる安定した時間が生まれていたという事なのだと思う。
当然、話芸もそこを起点に練り上げられていく事になる。

だが、その熟成して行った大衆の言葉文化が現代にも完全な形で残っていないのは何故か?
その理由と言うか、原因と言うか、時代と言うか、江戸文化伝承の障害となった時期は四つあるのではなかろうか?

一度目は、明治政府が江戸文化伝承に圧力をかけた時。
二度目は、第二次世界大戦の開戦直前から終戦まで。
三度目は、高度経済成長期の稼ぎ優先と知識の詰め込み。
四度目は、パソコンとインターネットの普及、更にはスマートフォン依存症蔓延。
市川海老蔵展・衣装

晤郎さんは、江戸の端を発した大衆の言葉文化やそこで生まれた話芸の面影を、私達に伝えたかったんじゃないかって思う時がある。
「私は切っ掛け。そこでご興味を持ったならその先は、、、」と晤郎さんがかつて仰ったことがある。

「その先はご自分で本などを紐解いて勉強をやっていくのが、あなたの人生を豊かにしていくという事なのです。」
市川海老蔵展

もう少し自分の人生を豊かにしてみるかと、最近強く思うようになってきたかな。
こうやってblogだのホームページだのやってる私が言うのも何なんだけど、四つ目の江戸文化伝承障害に負けるかコンニャロとかも思い始めている。

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