言葉拾い~4

☆ぼくにとって笑いとは、他の人と違って特別な意味があるし、重要なものなんです。

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晤郎さんの著書「日々幸せ感じ上手」(昭和62年12月刊行)より。

今回の言葉拾いは「ぼくにとって笑いとは、他の人と違って特別な意味があるし、重要なものなんです。」
日高晤郎さん著書 日々幸せ感じ上手

10歳の時に、生家から細谷家にもらわれてきた晤郎さん。
生家も細谷家もともに貧乏。

大阪の天王寺村の長屋に有った細谷家。
その天王寺村と言うのは全体が貧乏で、その頃「食えない芸人」が沢山住んでいた漫才横丁(じゃんじゃん横丁)。
全体が貧乏なのに芸人が集まったというのには理由がある。

この天王寺村(てんのじ村)は、元々文化芸能が盛んな土地柄で有ったらしい。
そして第二次世界大戦での大阪空襲での被災を免れ、演芸場も残っており、長屋住まいの斡旋も受けた芸能人の大半がここに集結し、暮らし始めたらしいのだ。
以後、上方演芸の再建や、文化発展の起点ともなった場所だという。
この天王寺村は「上方演芸発祥の地」とも呼ばれているとの事。
てんのじ村

そこで育った晤郎さんは、「だから音曲には強くなったんです。」と仰っている。

☆天王寺村の細谷家

「天王寺村の芸人さんはね。」と晤郎さん。
「飯が食えなくても、笑っていられる人種ばかりが住んでいました。」と、書いてらっしゃる。

そんな環境に囲まれた細谷家。
お父様とお母様がとても仲が悪かった。
若い頃にはほぼ毎日喧嘩。
そして互いが互いの悪口を晤郎さんに告げて来る。

これはやはり、子供心に大変つらかった。

そんな仲のお悪い育ての親御さんが、何かの拍子で一緒に笑う事があったと言う。
その時は晤郎さんも、「あんなに幸せな気分と言ったら無かった。」と仰っている。

その瞬間とは、例えば、ラジオから流れてきた落語を聞いた時とか。

つまり晤郎さんにとって、笑いとは良質な物であり、幸福に直結したもの。
「だから、、、」と晤郎さんは続ける。
「僕にとって笑いとは、他の人と違って特別な意味があるし、重要なものなんです。」と。

また、こうも綴られている。
「笑いを生半可に作る事は許せない。」と。
まぁ、この言葉は一部の方にしっかり認識しておいていただきたいものでもあるが、、、。

更に、こうも。
「仲の悪かった両親を笑顔にしてくれたラジオの落語。ぼくが昔の落語の名人にこだわり続けてしまうのは、そんなところからも来ているのでしょうね。」

、、、繋がった。
圓生百席 紺屋高尾

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