芸談~乞食になっても
☆三遊亭圓生 著 「浮世に言い忘れたこと」より
晤郎さんが旅立たれてから、私の中で色々変化があったんですね。
それはこう、自分でこうしてやろうという感じではなくて、とても自然に変わっていった。
あんなに間近で、芸人の人生を見せられたんですから。
ここで(STV第一スタジオ)で、「見事に我が命を使い切って見せる」と常々公言されていた晤郎さん。
本当に、第一スタジオで芸人人生を使い切って見せて下さったのですから。
間近にいたファンはどんな形であれ、影響を受けたと思うんです。
勿論、(真剣に)ラジオを聴き続けておられたファンも多い。
そんな皆さんも同じですよね。
私達は影響を受けた。
私の場合は、毎日の時間の変な隙間が無くなったというのがその一つです。
ボケ~~っとする時間はしっかり決めてます。
それ、眠る前の小一時間。
な~んも考え無い。
えへへへへしあわせとか思いながら頭を空っぽにする至福。
そんな中、今読んでる本。
三遊亭圓生、浮世に言い忘れたこと。
昨夜に続いて、今日もこの本から。
乞食になっても~その①
『こういう言い方はおかしいかも知れませんが、最近は本当の馬鹿が少なくなりましたですな。
どちらも見ても小利口なやつばかり多くって、つまり、いまの若い人はおあしのことばかり先に言ってね、銭を取ることを先ず先に考える。
(中略)
あたくしなんかも、やっぱり若いときはそう考えました。
どうしてこんなに貧乏しているのか、そりゃいやだったですよ、貧乏が。
(中略)
ところが、現実には金が取れない。
しかし、よく考えてみたら、金を取れないほうがいいんです。
何故かってえと、貧乏してるといやでも芸をおぼえるからです。
現実に金がなけりゃ、結局、どうしようもない。
勉強して、何とかなるよりしようがないから、それでやむをえず勉強する。
つまりは、芸なんてものは、猿にものを仕込むのと同じなんです。
餌を先に食わしちゃうとね、腹がくちくなっちゃあね、猿は芸をおぼえませんよ。
腹を減らしているところへ餌を見せて、ほら、芸をおぼえりゃこれをやるよ、ってえから、餌を食いたい一心で、一生懸命芸をおぼえるんですよ。
一つ、芸をおぼえたところで餌をくれる。
そうすると、また餌を見せられて、せっせとほかの芸をおぼえてゆく。
人間だって猿だって、やっぱり同じなんですよ。
(中略)
貧乏はもういやだ。
なんとかしてもう少し楽になりたいと思うから、つまり餌がほしいから一生懸命に芸をおぼえるんです。』
表現は少し違うけれど、どうです?
晤郎さんを感じませんか?