初めてのスタジオ見学・日高晤郎ショーの第一スタジオに勇気を出して行ってみた~1
☆初スタジオ見学、整理番号1番
2006年3月25日土曜日。
この日が私のスタジオ見学初日。
初ディナーショー参加の時とおんなじ。
訳も分からず、日高晤郎ショー開始が朝8時からだから、5時に着いとけば良いのかなと自宅を3時に出て2時間歩いた。
午前5時STVラジオに着いたがどこに行っていいか分からずウロウロ。
そしたら守衛さんが見かねて手招き。
晤郎ショースタジオ見学に来ましたと伝えたら、早すぎるよ、それに今日は寒すぎるから特別ねと、にっこり。
1階エレベーター前のソファに誘導され、ここで呼ばれるまで待っててと言われ、受付番号札を渡された。
番号は001だった。
☆日高晤郎さんは、誰よりも穏やかだった
当時はこの時間、晤郎ショーの見学者は誰一人来ていなかった、そんな時代。
5時半くらいだったかな。
照明もない薄暗いエレベーター前。段々緊張して来てでもどこかボーッとしてたら足音。
振り返ったら、出勤したばかりの晤郎さんがエレベーターに向かおうとしてらっしゃた。
電気ショックに近い驚き。
直立不動で「おはようございます!」と硬い声で、それも幾分大きすぎる声で挨拶していた私。
挨拶してすぐ、自分の大きすぎる声に驚いて、あ、失敗、、、と動転してしまった。
なのに晤郎さん。
穏やかな笑顔で「おはようございます。今日はスタジオ見学ですか?」と話しかけて下さった。
「はい、そうです。晤郎ショーが大好きです。」と私。
すると晤郎さん、一層にっこり笑って、「それにしても早すぎるよ~、俺より早く会社に着いちゃって。あとで疲れるよ。」
そしてエレベーターで三階に昇って行かれた。
薄暗い中だったけれど、晤郎さん、本当に本当に穏やかな笑顔だった。
☆晤郎さんとの、会話記念日
晤郎ショーを聴いていた一部の人からは、晤郎さんはズケズケと物を言う人、すぐ怒り出す人と言う風にみられていたけれど、それは違う。
それは絶対に、違う。
ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーで、「日高晤郎」を演じている時以外は、心底優しい方だった。
あんなに優しい人は他に見たことが無いと断言できるくらい、優しかった。
これが、晤郎さんと私の最初の会話。
これが、その会話後の私の感想。
2006年3月25日は、だから私の記念日。
~ 初めてのスタジオ見学~2へ続く
はじめまして。Twitterでこのブログが紹介されていたので訪れました。最後の晤郎ショーの渾身の記述を読み終えたところです。貴重な記録と記憶を残してくださりありがとうございます。
自分も以前は第一スタジオに通い詰めたことがありました。時期は1992年から94年頃の3年弱、自分はまだ25〜27歳でした。その後は転勤で札幌を離れ東京や北見、帯広と転々とし、最後にスタジオを訪れたのはもう10年以上前です。ディナーショーには出来るだけ行っていましたが。
晤郎さんや晤郎ショーの思い出も数限りなくありますが、形に残すのが下手なので、こちらのブログで思い出に浸りたいと思います。
はじめまして、ばふぁさん。
え?Twitterでですか(◎_◎;)
恐ろしい世の中だ、、、
私の中の晤郎イズムが「読まれてないんじゃない、読ませてないんだ」と叫び続けており、まぁ遠い未来に晤郎さんを知りたいどなたかのお役に立てればと書き始めたブログです。
そうですか!では1992年~そしてディナーショーとか、どこかですれ違っているかもしれないですね。
どうぞよろしくお願い致します(^O^)/
これからも、私なりに綴って行きます。
読みにくい投稿もあるとは思いますが、気長にお付き合いいただければ幸いです。
そしてもし、ばふぁさんの中の晤郎さんの思い出やエピソードを教えて下されば嬉しいです。
ばふぁさんの御許可が頂けるなら、記事として投稿させてください。
日高晤郎さんは、私達だけの思い出に閉じ込めておくには余りにもったいない存在です。
未来へ伝えて行けたならと、微力ながら積み上げていく覚悟です。
大変な世の中になりました、どうぞ体調には充分にお気を付けください。
この妙なウイルスによる災難を、一緒に乗り越えていきましょうね。
コメント、有り難うございましたm(__)m