日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1991年 その1
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☆ 日高晤郎ショーの1コーナー「みとせの流行り歌」九回目の記録
日高晤郎ショーの30年
日高晤郎ショーの頭上を、30年という歳月が流れました。
30年、何があっても休むことなく。
昭和天皇御崩御の時に、ギリギリ土曜日だったもんですから支度をして。
しかし今回は無しですというそのたった一回を除いて。
諸々、色んな不幸もありましたし、体調の事もありましたし。
それぐらいの事が有っても休まずに来ました。
お聞き苦しい所をお許しくださいと言う台詞は一度も吐いたことがありません。
それだったら休みますから。
聞き苦しいのを分かってやるのは馬鹿野郎ですからね。
だからそんな真似は出来ずに。
うん、それでもやって来ましたが。
私一人がやったのではない、お客様がそれを支えて下すった。
お客様との戦いの30年でもありました。
同時にお客様との助け合いの30年でもありました。
芸人稼業というのは振り返ってみると有難い事ばかりです感謝ばかりです。
そうやって支えて下すって新しいお客様も大歓迎ですよ。
晤郎ショーとお客様
ちょっと土曜日に何にもない、周辺観ても。
それからラジオをふっとやって、自分の何をこれからやって行けばいいのかなって言ったときに、あのラジオ何か示唆に富んだことをよく言ってくれるから、なにかヒントを言ってくれるんじゃないかなと来る。
で、それから段々段々回を重ねるやがて病みつきになる。
ひょっとしたら細川さん(スタジオ常連さん)そうかもしれない。
もう我々はスタッフも細川さんも通い合っていますよ。
ん~だから本当に有り難いと思っています。
ディレクターが変わりましたね。
今から22年前の1991年です。
大山からツジに替わった。
ええ。
世の中にこんな優しい男が居るか!というのがツジですよ、ツジ君。
そして世の中にこんなチャランポランな奴が居るか、これが大山だったですね。
手のひらを返す勇気
でも、誰もかれも私、好きですねぇ。
2年も居たらね人間は、好きになります。
嫌いになる。
2年も一緒に仕事をして嫌いになるっていうのは、嫌いになられる方が悪いなと思うぐらい。
私だって変節しますもん、手のひら返す。
良く西村さんがそのことを笑うけど、私西村さんに堂々と言うもんね、手のひら返すのも勇気の内だよって。
だって会うまでは分からないもの。
う~んでも、みんな良い奴だったし。
今も良い奴ですよ。
22年前
で、そんな中で。
22年前って何?って言ったら晴枝ちゃん(当時アシスタント)は小学校に入学だ。
こんなだよな。
でもよく覚えてるもんかい?
(はい、入学式はお母さんと手をつないで。晴枝さん談)
ああ、それが今な、お母さんと手が切れてしまってなぁ(スタジオ爆笑)
ひどいことになってなぁ、毎週怒られてるもん。
塩野(スタッフ)は高校受験ですよ、とつい(前アシスタント)は浪人中で今も浪人中ですから。
一番困っちゃうのは、皆さん(スタジオ常連さん)からご覧になって後ろ、ディレクターたちが見えるでしょ。
タカマツケンイチっていう、顔ちっちゃと呼ばれているんですが。
彼が岩見沢で誕生したのが22年前だよ。
ふざけた話ですよ、聞いただけで不愉快になりました(スタジオ笑)。
トレンド時代到来
この年の三月に東京都庁新庁舎完成。
それでもって五月にジュリアナ東京が!
はい、私もスカートはいてお立ち台に行きましたよ。
もうジャカジャカやりました。
そしてまぁ、もう一つはって言うと、この頃のテレビは東京ラブストーリー。
101回目のプロポーズ、僕は死にまっしぇん!!
これ今度、中国か韓国かでやるんでしょ、このまんま。
その年に流行った曲はだから当然のようにこの曲は入ってますよ。
小田和正ラブストーリーは突然に。
254万枚を売り上げたといういわゆるトレンド。
トレンド時代がやってきた年ではあります。
面白いのはこの年の四月にね、いまは皆のシューでお祭り騒ぎをやっているこの北海道。
でも全国のセブンイレブンはNTT料金収納の取り扱いを、要するに公共料金の支払いがコンビニでできるようになった先駆けを、セブンイレブンはこの年にやってるんです。
だから、先を見る目の凄さというかね。
それから楽しみを見出していくっていう凄さもあって面白いですね。
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