晤郎さんおススメ映画~駅馬車
☆掲載記事予定変更の経緯
先日、頂いたコメントとその返信を急遽書きました事により、その日予定していた「特別な日高晤郎ショー・フォーエバーpart4」を今日に回しますと書いてはみたものの、、、。
私の中の流れが、やはりフォーエバーpart4は今日ではないなと思い至りました。
この暑い時期はやはり、上館さんがご提供下すった音声データの書き起こし、日高晤郎ショー公開放送in大空町を進めるのが最優先でしょうということで、こちらに集中して行こうと決めたのです。
なので「特別な日高晤郎ショー・フォーエバーpart4」の掲載は、9月初旬辺りまで延期します。
さてそこで今日が日高晤郎ショー公開放送in大空町の続きにならないものまた事実。
というのも、日高晤郎ショー公開放送in大空町~84のビデオグラフィティで、晤郎さんが仰っていた「駅馬車」・「風と共に去りぬ」・「カサブランカ」がどうにも気になって気になって。
これまで私、上記の作品を全く観たことが無かったもので。
それで調べてみたらなんと私が今契約中のアマゾンプライム、ここでの提供作品の中に駅馬車があったのです。
これはもう観るしかない、ということで昨日人生初視聴、駅馬車。
☆映画~駅馬車
1939年の作品です、昭和で言えば14年。
バスや列車が普及する前のアメリカでは、市民の都市間移動手段は、駅馬車だったと言います。
駅馬車というのは屋根と壁のある馬車で、牽引する馬の数は数頭、客は乗り合い。
出発点から到着店までの各駅には、交代要員の馬が置いてあり、駅馬車が駅に到着するごとに馬を交代させるという仕組みです。
ストーリーは、ザックリ言うと、以下。
アリゾナ準州のトントから、ニューメキシコ準州ローズバーグに向けて駅馬車が出発。
乗り合い客は個性的な面々、それぞれに何らかの事情を抱え、それは物語が進行して行くにつれ少しずつ明かされていくものもあり。
折しも、インディアン列強の戦士ジェロニモがアパッチ族を率いて居留地を出たという情報が流れ、駅馬車が襲撃される可能性も高まった頃であった。
乗客に、婦人部の意向もあり町から追放された女性客が居た。
名前はダラス。
そしてその駅馬車に途中乗車したのはお尋ね者のリンゴ・キット。
17歳の時に投獄されたリンゴは、親兄弟の仇を討つために脱獄中。
仇討ちの相手はプラマー三兄弟。
その兄弟が住む場所が、この駅馬車の終着駅ローズバーグに居るので、この駅馬車に乗ったのだった。
そして訳ありなダラスに惹かれ始めるリンゴ。
後は観てのお楽しみという事で。
しかしまぁ、見事に。
実に見事に登場人物たちの過去が語られていない作品です。
観る側に委ねられてる。
ここがなんとも味わい深い。
最初は私、そこが分からなくて冒頭5~10分ぐらい混乱しました。
何のことは無い、ただただ流れを楽しめばよいのです。
クライマックスなんぞは、もう息を呑む思いでした。
CGなど無い時代。
まさに命がけの場面続出。
静から動への転換もお見事。
晤郎さんがご存命の時代は、気付かなかったけれど、大空町でのトークの端々に散らばってるんですよね、宝石が。
未見の方がいらっしゃいましたら、是非にとお薦めです。
☆映画:駅馬車を楽しむための予備知識
全ては語られていない作品なので、分からなかったことも多くて調べました。
それらについて最後に簡単に記しておきます。
ジェロニモ
インディアンの有名な戦士。
1837年ジェロニモの家族全員が、だまし討ちに近い形でメキシコ政府より虐殺されたことにより勇猛な戦士に変貌。
アパッチ族を率いて、侵略者のアメリカ政府やメキシコ政府と戦い続けた実時の人物。
銃撃の中、ナイフ一本で戦場を駆け巡り、その勇敢さにジェロニモと呼ばれるようになったという。
実際に駅馬車襲撃もやったという。
晩年はアメリカ政府の捕虜となり、博覧会では人間動物園などでの見世物と言う扱いを受ける。
故郷メキシコへの帰還を願い続けていたが聞き入れられず、1909年(明治42年)、アメリカのオクラホマで人生を終える。
アパッチ戦争
1851年から1886年にかけて行われた、侵略者としての白人側と、土着の種族であるインディアンとの戦争。
地域としては、アメリカとメキシコの国境付近。
映画では駅馬車に対するインディアン族の襲撃として描かれているが、実体は白人による民族浄化戦争。
インディアンの保有する土地に莫大な金鉱があったため、そこを奪うという目的もあったと言われている。
駅馬車
映画で描かれている駅馬車の路線は、現代の地図で見てみると、おおよそ400km。
地図内の赤い線が
トントからメキシコ国境に近いローズバーグに向かう道は、現代ではこのルートとなる。
撮影場所のモニュメントバレーはこのやや北側で、周囲にはアパッチシットの地名や、ナバホという地名も見られる。
駅馬車乗客のマナー
・飲酒は自粛、もしくは分け合うのがマナー。
・車内での会話では、駅馬車強盗と、インディアンの襲撃についての話題は厳禁。
・銃器はいざという時のために各自で管理保管。
・眠る際は、他の客にもたれかかってはならない。
・女性が乗っている場合、タバコは自粛してほしい。
・女性や子供がいる場合、荒い言葉は使わぬ事。
・女性に紳士的振舞に欠ける男性は、その場で下車させる。
・寒冷時、防寒のためのローブが配られるが、共用すること。違反した場合は御者の隣に座らせる。
・途中の駅では馬の交代が主な作業。乗客には簡易な食糧があるだけで、休憩の意味合いはない。
以上のポイントを押さえておくと、作品がより深く味わえます。
駅馬車の終焉
開拓時に一時代を築いた駅馬車ですが、1920年あたりで全て無くなったという事です。
駅馬車の代わりに役目を果たしたのは、バスでした。
映画、駅馬車が公開されたのが1939年ですから、駅馬車が消えてから約20年後。
人々の記憶にまだその姿が残っていた頃でしょう。
そしてジェロニモの家族全員が惨殺されておよそ100年後。
ジェロニモが没して30年後の年でありました。