日高晤郎ショー公開放送in大空町~107

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※4時の時報


晤「ウィークエンドバラエティー日高晤郎ショー。
イン大空町、あと1時間のお楽しみですが、私共の番組は必ず1時間、時間通りに終わるわけじゃありません。
終わってからの命歌に、また、聴きどころがあります。
全てお心に留めて、荷物になりませんから、心の土産として持ち帰っていただければ幸いです。

敢えて、日差しが、あ~眩しいと言っていたその残りの陽を浴びながら、、、昭和の歌を楽しみましょう。
昭和の、流行り歌。」
※ここでテーマ音楽とジングル

晤「まずは昭和27年。思い出深い年です。
ボクシングの白井義男がチャンピオンになった年ですから。
おそらく私は、もうその時からボクシングファンになったんでしょうね。

全くできません。
サンドバッグを叩いたことも無い。
むしろ人生、波風が多くてサンドバッグのように叩かれた時代はあります。
幾年も、幾年もね。

でも。
叩かれて強くなる、というところはサンドバッグとは違う人生を送りました。
それなりに強くなったとは思いますが、しかし、ちょっと考えを変えて、強くなったけど頑なになって無いかなと、振り返って反省することも無いわけではありません。

しかし、白井義男の、チャンピオンになったその年は嬉しかった。

ラジオの名人芸がいっぱいある年でした。

というよりも、この年からしばらくの間、私、成長期まで、ラジオは名人芸であふれていました。
それは、寄席芸もそうです。
歌もそうです。
ラジオドラマがそうです。

食べられない新劇の俳優さんたちがやっているんですから、上手くないはずがない。
最も人気が出たのはNHKのラジオです、君の名は。
昭和27年に始まりました。

しかし日本は、どんどんアメリカの文化を入れて、近代的だけではなくてお遊びまでアメリカ的になってきました。
青山にボウリング場ができたのも昭和27年です。
まだ、倒したピンを人間が立てていました。
そんな時代です。

のちに。
その機械構造が良くなって、ボウリングを始めた頃。
私は、どうしても先の見えない未来を捨てて、むしろ、見えるボウリングのボウラー、プロボウラーになろうと思ってました。
今も体にその、、、ちょっとした、その頃投げ続けた形が残っていますが、今はもういけません。

そんな時代に、一人のスタアが、勿論、北海道出身のスタアも出てきて、キングレコードの添えひきになった、そう、春日八郎。
この人が出てきて、歌も又、歌謡曲も流行り歌も芸術になりました。

別れの一本杉は勿論名曲ですが、この歌も、味わい深いなぁと思います。
※イントロ始まる

独特のこのテンポ、このリズム。
こおり健太が歌います、赤いランプの終列車。
赤いランプの終列車 春日八郎

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