☆「日高晤郎ショー 最後の日」最後のチャラの裏側②
☆日高晤郎さんと歌人とお客さんとが、一緒に歌った最後の歌
そして翌日。
STVラジオ、ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーの2時台が始まる。
時報に続いて流れ始めたのは、チャラのイントロ。
晤郎さんとスタジオのお客さんと、歌詞のチャラの部分を一緒に歌い、それを歌に重ねて放送に乗せるのが常。
今回も、そこ歌人も加わって、、、そうだった。
ただ、晤郎さんの消耗は激しく、恒例の合唱にも、晤郎さんだけあきらかに遅れている。
当然だ、呼吸だけでも大変だろうに。
でも、誰も止められない。
私たちは晤郎さんの望むとおりに元気に声を出すことが、せめてものこの場での応援。
☆放送ブースの生命線、カフを忘れた晤郎さん
そして晤郎さんは、歌のカウントを取ろうと「ワン・ツー・スリー・フォー」と言おうとして「ワン・ツ、、リフォー、、」と噛んだ。
その後も、スタジオ内では「チャラ」の部分を合唱していたのだが、晤郎さんはカフを上げるのを忘れて合唱されていた。
その合唱は、スタジオの中だけのものとなっていた。
あの晤郎さんがカフを上げ忘れるだなんて、、、それも何度も、、、。
(放送機材の一つ、カフボックス。右の上下レバーで、音声のオンオフを操作する)
晤郎さんの意識が混濁し始めたと、私はそこで感じたのだ。
いくら何でも、いくら晤郎さんでも、もうこれ以上は辛かった。
涙を必死に押し返して、わずかの間、目を閉じながら唇を噛んでいた。
涙が、押し返してきそうだったからである。
☆日高晤郎さんと私の最後の、無言の会話
チャラが終わる頃、目を開けたら晤郎さんがこちらを見ていた。
目が合ったのだ。
一瞬、叱られると覚悟した。
全身全霊をかけて晤郎ショーをつくってる最中に、お前眠っていたなと叱られると。
そんな目に思えた。
御存知ない方のために書いておく。
晤郎さんは、スタジオの全てのお客の集中度合いや、礼儀を見てらっしゃる。
どんな時も。
この時の私は、最後の二小節くらい一緒に歌わずに、目を閉じて唇を噛んでいたのだから。
その直後。
晤郎さんはマイクに向かって驚きの言葉を告げたのだ。
偶然かもしれない。
でもあの時の目とタイミングは、絶妙な会話だったのかもしれないとも思う。
余りのタイミングに、これが本当の晤郎さんと私の最後の会話だと、その時感じたのを覚えてる。
その直後の晤郎さん。
何故か、ここは写しておかねばならないと、その時そうも感じたのだ。
「無言の会話」
これはかつて、私が晤郎さんに宛てた手紙に書いた言葉。
「無言の会話」
そうだね、そう言うのって確かに在るよねって、その時晤郎さんはしみじみ仰った。
あの時の最後のチャラの最後の晤郎さんの視線を、私は忘れない。