晤郎ショーで手紙を読んで頂く事がある。
それはそれで嬉しい。
何が嬉しいかというと、自己顕示欲が満たされるからとかでは無い。
晤郎さんと、手紙を介して独特の会話が出来るからである。
晤郎さんにお考えがあって、この時この時間にこういう風に読んで、電波に乗せて下さる。
その理由も、その週その週で明確に在る。そこを類推する楽しさと深さ。
また、手紙への導入・読みの強弱・間の取り方・息遣い・力点の置き場・読後のコメントなどから、確実に晤郎さんからの回答が含まれている事が多い。
私は、晤郎さんとのこういう会話に魅せられて、手紙を毎週書き続けていた。
晤郎ショーで、読まれない時の方が圧倒的に多いのは勿論の事。
それでも良いのである。
番組で読まれなくても、絶対に晤郎さんは読んで下さってる。
それだけで良いのである。
何故なら不意に、番組中に誰にも気づかれない感じで、私が出した手紙への晤郎さんの回答を下さる事も多かった。
単純な回答では無い。
番組として成立するように色んなエピソードを交えながら、読まれなかった手紙への回答を含ませている話術の高等技術なのだ。
こうした言葉の往還が、学びにつながる。
手紙を書く者にとって、こういう瞬間が大きな学びであり、喜びでもあった。
錯覚とかではない。常連さんで手紙好きな方とお話ししていると、そういう体験をされた方が数名いらっしゃった。
日高晤郎ショーは、底知れぬ深みを持った情報番組でもあったのだ。特殊な情報番組。
晤郎ショーのお客さんの中には、番組で読まれる私の手紙を聴いて下さっていて、私の事を覚えていて下さる方もたまにいらっしゃった。
その中で、ほんの一部だけれど、こういう質問をする方が居た。
「和彦さんは、晤郎ショーで読まれるために、どんな工夫をして手紙書いてるんですか?」
それ、アウト。それ違うもの。
でも一応答える、A型だから。
「読まれるためには、書いてませんよ。晤郎さんに手紙書いてるだけですよ。」
本当はもっと詳しくお話ししたんですが、理解されたのかなぁ、、、。ちょっと気懸りA型だから。
日高晤郎ショーに手紙を書いた事は私、一度もありませんでした。
晤郎さん個人に書いていただけ。
それで、晤郎さんが「この手紙は番組に必要」とお考えになった場合だけ、番組で読まれるだけの事。
宛名、これとても大事です。
いろんな場面で、手紙だけではなく大事だと思うんです。
誰に向けて自分が発信するのか。
何処に向って歩いて行くのか。
宛名って、大事なんですよ、ベクトルと言い換えても良いんです。
なんか、話、逸れちゃいましたね。