衝撃の晤郎ショーデビュー戦・三沢光晴さん
☆ジャイアント馬場さんの後継者、日高晤郎ショーに見参!
晤郎さんがジャイアント馬場さんを好いておられなかったので、私はずっとプロレスに関して、晤郎ショーでは沈黙していた。
だがその馬場さんの直系、三沢光晴さんがウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーに御出演されたことがある。
私にとっては、運命の交差であった。
出演されたことは間違いなくあったのだが、私はそれがいつの事だったのかハッキリ覚えていなかった。
中継コーナーで出演されて、晤郎さんとおおいに盛り上がり予定を大幅に伸びて他のコーナーが消え、最後に中継レポーターのアナウンサーが三沢さんの必殺技のエルボー(肘打ち)で悶絶。
翌朝のテレビ中継で、首にコルセットをまいた姿で映っていたのまで覚えてる。
はて、福永さんだったか、岡崎さんだったか、、、
☆発見された古いカセットテープ
で、前置きがずいぶん長くなりました。
実はこれが言いたかった。
先週、押入れから一本のカセットテープ。
120分です、古い晤郎さんファンの方ならお判りでしょう。
そう、晤郎ショーを苦労して録音していたあの時代。
それで、ふるーいカセットデッキ倉庫から出してきてスイッチ入れたらまだ動く。
やった~とさっそく再生。
2006年6月のものでした。
感謝デー。ああ、だから取ってあったかと納得。
聴き進めるうちに、岡崎アナ中継のコーナー、あのスピカからの中継。
そしてそこに三沢選手登場。
総毛立ちました。諦めていましたから。
録音状態も良好。
あ~そうそう、晤郎さんそう、楽しそうにお話しされてた。
晤郎さんの無茶ぶりで、中継最後にエルボー喰らって悶絶する岡崎アナウンサー。
アシスタントの早川舞子さんの笑い声も懐かしい。
晤郎さんが中継終わってしみじみ仰っていました。
「三沢さん、話、面白い人だね。楽しかったぁ」って。
晤郎さんと馬場プロレスの継承者が、晤郎ショーで邂逅するだなんて夢にも思わなかった。
私にとっては奇跡の時間でありました。
それで実はこの時、私はスピカに居ました。
そう、晤郎ショーを携帯ラジオで聴きながら、プロレス会場に居たのです。
い・わ・ゆ・る、浮気って奴です。
だから、鮮明な記憶として今も脳裏に残っているのです。
ボクシングとプロレスは違う。
「受け」という独特の世界観もある。
しかし、過酷な格闘技でもあるのです。
余談かもしれないが、書いておきます。
☆三沢選手、頚髄離断
三沢さんは、この中継から3年と10日後。
13日に広島での選手権試合中、齋藤彰俊選手のバックドロップを受けて、頚髄離断で死亡する。
ほぼ即死状態だったそうだ。
いつの時代でも、自分のヒーローの死は日常を無力化させていく。
残されたファンは、立ち直ろうとする過程で、離れていく人も多い。
私も実は、相当に打ちひしがれていた。
哀しみが、ジャイアント馬場さんを失った傷口に重なり、ようやく出来かけていたカサブタが無理やり引きはがされて行くようだった。
その時の対戦相手の齋藤選手には、一部心無いファンからの誹謗中傷があった。
その後のある日、齋藤選手は私にボソッとこう言った。
私の左顎、触ってみてください。
触ってみると、顎の骨がえぐれていた。
「これ、三沢さんのエルボーを受け続けてきた結果なんです。
三沢さんは本当に偉大なレスラーでした。」
齋藤選手もまた、修羅を背負って今を生きている。
心に格闘技を持っている人間は、それがどんな格闘技であれ、軸がブレていなければ相当強靭な精神が醸成されて行く。
強く、そう思う。