日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1984年 その1

☆日高晤郎ショーの1コーナー「みとせの流行り歌」二回目の記録

みとせの流行り歌1983年は、こちら

みとせの流行り歌第二回目は、1984年(昭和59年)。
この年は、サラエボで冬季オリンピック開催。夏季にはロサンゼルスオリンピック。
それらを受けて日本で初めての衛星放送が始まった年。
そんな年の始めの曲は、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」でした。
晤郎ショー発信の場所であったSTVラジオ第一スタジオ。そこの壁には、晤郎さん所縁の歌人達のポスターが飾られていました。
1984年の4月。ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーは、3時間から一気に8時間の生放送へ。
たった一年で8時間放送になったのは驚くべき事なのですが、晤郎さんは満足されてなかった。
何故なら、すでにTBSラジオで永六輔さんが8時間放送の番組をやっていたから。
晤郎さんとしては、それと同じじゃ嫌だと思っておられたんです。

また、風俗のトルコ風呂がソープランドと名を変えたのもこの年。
そして新紙幣発行。
一万円札が福沢諭吉、五千円札が新渡戸稲造、千円札が夏目漱石。
ここからバブルが始まったのでした。
二曲目は、「二億四千万の瞳」郷ひろみ。

みとせの流行り歌1984年その2に続きます。

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