☆「日高晤郎ショー 最後の日」行動も思いやりも、当然人それぞれという事。
☆スタジオ席と交代しましょうと言ってくださる常連さん
こうして最後の晤郎ショー午前の部が終わった。
分刻みで晤郎さんの体力が奪われて行くのが、廊下天井埋め込みスピーカーを通して分かった。
廊下では、勿論スタジオ内の空気感まで全部わかることは無い。
御存知ない方のために申し上げるが、STVスタジオ前廊下に流れている音声は、ラジオを通して聴く晤郎ショーと何ら変わりはない。
但し、音声に関しては、だ。
ではスタジオ内に居ても、普通にラジオを聴いていても分からない事は何か?
それは、スタッフの仕事ぶりであったり、裏の緊張感だったり、スタジオで本番を迎える町の広報担当者の様子だったり、放送には載らないゲストの素顔だったり。
はたまた、ファンの皆さんの人柄だったり性格だったり、晤郎さんさえ知らない感動的なエピソードだったりする。
そう、だから私は、離れて聴くラジオも好きならば、勿論スタジオ内も好き。
そして廊下も大好きだった。
この日、朝の件で私は廊下組になった。
中にはそれを気にされてる常連さんもいらっしゃって、午前の途中で廊下途中のトイレにいらっしゃった時、「カズヒコさん、2時間程度スタジオと廊下、交代しましょう」と親切に声を掛けてくださる方も数名いらっしゃった。
本当に、感動した。
常連さんは、そう言う視野を持っている方が多い。
でも、ていねいにお断りしていた。
私が廊下組になったのも、何かの運命。
ここでしか見られないモノが在って、それを私はこの時間中に見つけなければならないと思っていたのだ。
事実、晤郎さんを目の前にしない状況だからこそ、この日の放送を客観的に視る事が出来ていたと思う。
それに、直接晤郎さんを観たら、冷静でいられる自信が無かったというのも強い。
私はきっと、本当は意気地が無かったのだろう。
☆またスタジオ席と代わってくださいと言われてしまう常連さん
哀しいこともある。
朝、私より後に並んで廊下組になった方。
スタジオ内と廊下組の交代は、一人でも多くの人に晤郎さんと一緒に過ごさせてあげたいとの思いから、一人一回交代とのルールが暗黙の了解として有った。
どうしても私は晤郎さんをみて笑いたいしハッピーになりたいからと、交代してもらってスタジオに入った方もいる。
そして驚いたことにその方は、時間が来て廊下に戻ってしばらくして別のスタジオの常連さんに、晤郎さんを観て元気と勇気を頂きたいからと再度スタジオ入りしたのだ。
この日、一度もスタジオに入れずに、廊下の末席で一日中昨日への感謝と晤郎さんの放送を楽しみに時間を過ごした人も多かったのに。
小さいことかもしれぬ。
そして私の器も、小さいのかもしれぬ。
しかしこういう場合、その人の人生観まで視えてしまうもの。
スタジオの常連さんたちが、どういう思いで貴重な時間を交代してまで手渡して下さったか、全く理解しようとしていない。
哀しいことだけれど、その方との友達付き合いは、そこでひっそり幕を閉じた。
それで良かったと、私は今でも思っている。