尾木ママの対極
新型コロナウイルスが世界に蔓延。形骸化したWHOからの、遅きに失したパンデミック宣言
それを受けて先日の晤郎さんの誕生日あたり、政府が全国一斉休校を打ち出したとき、「そんな急に、現場は混乱する」とか発言してた尾木ママって人。
そりゃそうだけど、相手は正体不明の見えない敵。
死人も出てる。
そして世界的な拡がりで、先行きが見えない。
つまりこれは、有事だ。
日常ではあり得ない判断が、国民の生命財産を守るために下される場合は当然、ある。
それが一番正しいかどうかを議論している余裕の無い有事なのだ。
それさえ分からぬ教育評論家とは、一体なに?
尾木ママ。
男性。
それもおじいちゃんなのに、尾木パパでも尾木ジジィでもなく何ゆえママ
、、、しばらく考えてしまったが、まぁ、分かる気はする。
実はそのネーミングは、現代日本の教育の主流。
今の教育の多くが母性教育。
優しく育て、温かく見守り、けして叱らず包み込む教育。
それはそれで、間違いなく確かに素晴らしい。
が、しかし。
子供が大人になっていく過程で、そして生きていく上では、母性だけでは足りぬのだ。
厳格なルールを示し、立ち向かい、将来像を示し、決断し、切り捨てる父性も同時に必要なのだ。
これは間違いない事実。
改めて今回思った。
日高晤郎さんは、強い父性の人だった。
かつて有事の際に、何度も道を示してくれた存在だった。
あれぞ正しき父性。
今回の尾木ママの発言に触れて、その違和感について考えて、そろそろ固定頁の方に、日高晤郎さんの父性について書いてみようかなと思い始めててる。
そう。
私達晤郎さんファンって、晤郎さんに父性教育された生徒だった。
熱く、全くブレず、時に厳しく、孤立を恐れず。
そして、穏やかに。