日高晤郎ショー 東日本大震災報道・背景(東日本大震災概要)

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☆東北地方太平洋沖地震

2011年3月11日14時46分18秒、三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生。
マグニチュードは日本国内観測史上最大の9.0。アメリカ地質調査所(USGS)の情報によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震となる。

日本国政府は、当地震によってもたらされた災害の名称を、東日本大震災と定めた。

☆東日本大震災被害概要

震災による死者・行方不明者は1万8428人。
死因の90.64%が、津波による溺死。
(津波の最大波高・14.8m。最大遡上高40.5m)
※遡上高→陸地の斜面を駆け上がった津波の高さ
建築物の全壊・半壊数は40万4893戸。
避難者47万人。
世界銀行の推計では、自然災害による経済損失額としては、史上1位としている。(当時)

☆東北地方太平洋沖地震、各地の震度

本震による震度は、宮城県北部の栗原市で最大震度7。
宮城県、福島県、茨城県、栃木県などでは震度6強。
北海道から九州地方にかけて、震度6弱から震度1。
 その後、強い揺れを伴う余震を多数観測。

3月11日 東日本大震災の震度分布図(気象庁 提供)

☆福島第一原子力発電所事故

日高晤郎ショー震災報道と1号機水素爆発

地震により、稼働中の1 – 3号機は自動的に緊急停止。
送電線の鉄塔倒壊や送電線ショートなどで外部電源喪失。

外部電源が失われたため、一旦は非常用電源起動。
しかし、地震発生41分後の15時27分、巨大津波の第一波が到達。
以降数回にわたり津波が原発を襲い、施設を大きく破壊。
地下室や立坑にも浸水。
地下にあった非常用電源は水没。二次冷却系海水ポンプや、燃料のオイルタンクも流失。

このため1・2・4号機は全電源喪失。
3・5号機は全交流電源喪失。
電源喪失により、原子炉は冷却機能を失った。
また原子炉の状態を示す各計器の値が表示されなくなり、さらに発電所内の照明、通信機能も失った。

1号機

最も早く注水が止まり、地震翌日の3月12日1時48分に(日高晤郎ショー当日)ディーゼル駆動消火ポンプ機能停止。
明け方6時頃には全燃料がメルトダウンに至ったとみられる。
15時36分、1号機原子炉建屋が水素爆発を起こして大破。
この瞬間の様子は、福島中央テレビが福島第一原発から約17km離れた中継局情報カメラで撮影。
その映像は、16時50分にNNN全国ネットで放送された。

3号機

3月13日午前5時半頃から、3号機の炉心融解が始まる。
3月14日7時頃には、燃料の大部分が圧力容器の底を突き破って、格納容器へ溶け落ちたとみられる。
同日11時1分、原子炉建屋のオペレーションフロアから上が、1号機と同じように水素爆発し大破。

2号機

15日6時12分、大きな衝撃音発生。
このとき2号機圧力抑制室が破損したとの見方もある。

事故で放出された放射性物質は、15日に2号機から放出されたものが最も多かったと推定されている。
しかし、吉田所長らが恐れていた原子炉の決定的な破壊にまでは至らず、最悪の事態は回避された。
この日放出された大量の放射性物質は、原発から北西方向へ延びる帯状の高濃度汚染域を作り出した。

4号機

15日6時12分、大きな衝撃音と振動が発生。
その後4号機原子炉建屋の損傷確認。

5-6号機

全電源喪失を免れ、津波被害がやや軽微だった。

☆政府の対応(民主党・菅政権)

3月 11 日

14時50分
官邸対策室設置、緊急参集チーム招集。
同時刻、総理大臣指示以下の4点
①被災状況の確認
②住民の安全確保、早期の避難対策
③ライフラインの確保、交通網の復旧
④住民への的確な情報提供に全力を尽くすこと
15時14分 
災害対策基本法に基づき、同法制定以来初めて、内閣総理大臣を本部長とする緊急災害対策本部を閣議決定により設置。
15時37分
第1回緊急災害対策本部会議が開催。
災害応急対策に関する基本方針決定。
18時42分 
現地の被害状況を詳細に把握するため、内閣府副大臣を団長とする政府調査団を現地に派遣。

3月 12 日(日高晤郎ショー当日)

前日の閣議決定に基づき、午前6時に、内閣府副大臣を本部長とする緊急災害現地対策本部を宮城県に設置。
また同日、岩手県、福島県にも政府調査団を派遣。それぞれ現地連絡対策室設置。

●晤郎ショー当日、総理大臣の現地視察について
午前6時14分
当時の内閣総理大臣である菅直人は、官邸より自衛隊ヘリのスーパーピューマにて福島原発に向けて出発。
午前7時12分
スーパーピューマ、目的地到着。
バスにて、福島原発免震重要棟へ。2階会議室にて、福島原発吉田所長と対面。状況説明などを受ける。
午前8時5分
菅直人、福島原発より離陸。その後、上空より宮城・岩手の被災地視察。

あれから10年経とうとしている現在でも、菅元総理はこの視察を有意義なものだったと自画自賛しているが、当時の現地責任者だった吉田所長はこの視察を「来て、座って、帰られました。」と酷評している。

~以上、内閣府・平成23年度防災情報データより
菅直人公式サイト・福島原発事故特設ページ参照

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