東李苑さんが、日高晤郎ショースタジオに初めて来た日~その2

< 東李苑さんが、日高晤郎ショースタジオに初めて来た日から続く。

☆廊下から、第一スタジオへ

東李苑さんを「リオン」と呼ぶ純情可憐全力青年と、廊下で大盛り上がり。
私は東李苑さんの凄さを知らされ、純情可憐全力青年は日高晤郎さんの深さを知り。
ファン同士が、互いの憧れを認め合い満たされて行く時間。
私と青年は、こうして第一スタジオに入る前に、すっかり出来上がっていたのだった。

だから、日高晤郎ショースタジオ前の廊下はあなどれない。

そうこうしている内に、あの森本Pさんがやってきて、眼鏡の奥のやさしい瞳をキラリと光らせ「次のCMでスタジオにお呼びできますよ」。
そして「李苑ちゃん、やっぱり良いわぁ~」って言って、くるりと背を向け副調整室にと去っていった。

☆東李苑さんは、晤郎さんをまっすぐに見つめていた

呼ばれた。
青年の緊張が伝わってくる。
でも、スタジオ入りのタイミングを間違ってはならない。
ここでもたつくと、晤郎ショーの進行の邪魔になる。
「さあ青年、一切の躊躇から解脱するのじゃ。いざ行かん!聖地へ!!我に続け!!!」
そんな感じでささささと移動。
突き当り左に折れて、そのまた突き当りを右に折れるともう、目の前に晤郎さん。
会釈して常連さんの誘導に従って、その日空いてる席へと移動。
私は後方の席、青年は良かった、やや前の席。

座って前を見る。
何かの間違いかと思った。
我が目と我が脳とを疑った。
日高晤郎さんの真横に座る東李苑さんが、私を見てる、、、。
なんで。
どうして。
何か、しでかしちゃったのか(◎_◎;)

すると、李苑さんは私に向ってちょこんとお辞儀して笑顔で軽く手を振ってくれたのだ。
ごめんよ青年、そんなんじゃないんだ。
勿論私が思春期だったら、これでもうイチコロさ。
でも安心して、もう枯れかかってるおじさんだからね。
などとそんなことを考えながら、私は条件反射的に、ニコッて笑ってチョコンとお辞儀して軽く手を振り返した。
ごめんよ青年、そんなんじゃないんだ。

ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーに来て、ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーの聖域に身を置いた東李苑さんは、スタジオのお客さん一人一人さえも晤郎ショーだと皮膚感覚で理解されたのだろう。
私達が遅れて入って、移動して腰を下ろして前を見る。そのタイミングをきちんと計って無言の挨拶。
かわいらしい外見に惑わされるが、紛れもなくプロフェッショナル。
この気配りと、晤郎さんの言葉への熱いまなざし。
こればかりは、ラジオの向こう側では分からない真実。

放送中も、晤郎さんの話芸への心地良い間合いを保ち、確実に李苑さんの言葉を返していく。
しかもベストタイミングで。
青年の言葉が蘇った。
「李苑は努力型の天才で、スターの輝きは先天的なんですよ。」
納得した。
李苑さんは臨機応変に言葉を添わせながら、常にまっすぐに晤郎さんを見ていた。
それは、私が知る正統的な学びの姿勢そのものだった。

☆李苑ちゃんは、ラジオの世界に必要な人だ

私の守備範囲で、ほんの少しだけこんな感想を言ってる人も見られた。
あ、守備範囲というのはスタジオ内だけじゃなく、メールなどでも交流のある晤郎さんファンのことね。

「晤郎さんも、やっぱり若い女性には弱いのね。デレデレしちゃって。」

ハッキリ言う。
それは違う。
晤郎さんはある時点で、ご自分の人生の終焉を見据えておられた。
そしてご自身の研鑽のみならず、「晤郎さんの愛するラジオ文化」を次世代に手渡そうとされていた。
ここで言う「晤郎さんの愛するラジオ文化」は、ただのラジオ文化というのではないとご理解ください。
そう言うことです。
デレデレに見せつつ、伝承を主眼に会話されていたのです。

こうして出会った東李苑さんの人柄や会話能力、それに可能性を含めて、晤郎さんは李苑さんを高く評価されていました。
そしてお世辞でもなくこう仰っていました。
「李苑ちゃんは、ラジオの世界に必要な人だ。」と。

この時は、晤郎さんご自身に正式な病名が伝えられる直前。
正式な闘病が始まる前。
それでもご自身の不調は、誰より理解されていたはず。
だからこの言葉が、一層重みを増します。
「李苑ちゃんは、ラジオの世界に必要な人だ。」

日高晤郎さんと東李苑さんの最初の接点に立ち会えたこと。
これも私の財産なのです。
この日のスタジオ見学、やはり一生忘れられません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください