映画「 Fukusima 50」 ~東日本大震災での原発事故~

☆福島第一原発事故を描いた映画

2020年3月6日公開の映画、Fukusima50。
ちょうどその頃、札幌でもCovid-19が蔓延してき始めて、私は映画館へ行かなかった。
けれど実は、とても見たかった映画だったのだ。

そして昨日11月6日、Fukusima50のレンタル開始。
それで今、観てみた。
あの日が再び鮮明に蘇ってきた。
そう、福島第一原発事故を現場で収拾させようと尽力したプロフェッショナルの皆さんを描いた映画。
ここに描かれていることから、やはり私たちは目を逸らしてはならないのだと思う。
やはり私たちは、忘れてはならないことだと思う。

Fukusima50、最初から最後まで、私は涙が止まらなかった。
当時ニュースなどで知らされた吉田所長以下、現場の皆さんの命懸けの働きが、映画として鮮明に蘇ってくるのだ。
未曽有の大災害、東日本大震災。
観終わった今、とても胸の奥が熱い。
東日本大震災

☆「日高晤郎ショー 東日本大震災報道」と、Fukusima50

現在私はこのブログで、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災の引き金となった大地震)翌日、2011年3月12日に放送された日高晤郎ショー 東日本大震災報道の書きおこしを行ってる最中。
つまりこの映画の舞台となった福島第一原発事故が起こっている最中の北海道での放送を綴っている。

どうしても、原発の現場での出来事が、晤郎ショー震災報道の進行と重なってしまうのは仕方のないことなのだろうけれど、随所で思ってしまったのは、映画に描かれた3月12日。
ああ、晤郎さんもこの時、札幌から独自の視点で戦っておられたんだと、ここでのあの日を重ねて観てしまってました。

重たい話です。
辛い話でもあります。
しかし、目を逸らしてはならない出来事でもあるのだと思うんです。

福島だけではない。
札幌だけでもない。
あの大災害から人々を守ろうと動いた方はきっと、それぞれの立場で日本全国各地にいらっしゃったはず。
もしくは、世界各地に。
だから、映像作品に残したり、文字や写真に残したりしていくのは、今を生きる私たちがやらねばならない大事な仕事でもあると思うのですよね。

ある意味、映画Fukusima50も、あの日の日高晤郎ショーも同一線上の、崇高な戦いだと思うのです。
映画 Fukusima50

☆Fukusima50

フクシマ50(フィフティ)と読みます。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震で発生した大津波によって、福島第一原子力発電の原子炉冷却機能が停止。
その後、復旧作業や対応処置のために、福島第一原発従業員が勤務していたが、爆発や火災が続いた。

放射性物質飛散が続いていた3月15日、約50名の人員を残して従業員が避難。
現場に残って、福島原子力発電所事故の被害を最小限に食い留めるために尽力したこの約50名を、国内外のメディアが尊敬の念を込めて「Fukusima50」と呼称し始めた。

このFukusima50の活躍がなかったら、その後東京までも、人の住めない危険地域になっていたと言われている。

さてこの映画Fukusima50。
私は今回レンタルDVDで観たのですが、迷わずブルーレイを買います。
これは、遺し伝えるべき映画の一つだと思いました。

映画 Fukusima50 の公式ホームページはこちら。
Fukusima50
東日本大震災の年・太平洋フェリーにて

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