話芸人二人
☆圓生さんと、晤郎さん
最近落語に魅せられている。
日高晤郎さんの話芸を私なりに分析して行っていたら、一人の噺家さんに行き当たったのだ。
それが、六代目三遊亭圓生。
早い話が、圓生さんと晤郎さんが似ているのだ。
その生い立ち。
芸への姿勢。
人との接し方。
周囲の人々の評価。
そして人生の終盤も。
圓生さんの人生
1900年9月3日から1979年9月3日の七十九歳。
晤郎さんの人生
1944年2月28日から2018年4月3日の七十四歳。
ざっとだが、年齢と人生暦の差はこんな感じ。
圓生さんは四~五歳で寄席芸人になり、ご自分の確たる芸道を見つけて世間の評価が上がり始めたのが1947年。
晤郎さんが三歳の時分の事。
そして1953年、晤郎さん九歳の年。
ラジオ東京が圓生さんと専属契約を結んで、圓生さんの地位と評価は確立されることになった。
そこから、逝去されるまでの二十六年間。
六代目三遊亭圓生は昭和の大名人として古典落語を磨き続け、命尽きるその日も、自らの講演会発足の場で噺を披露している。
圓生さんが旅立たれた時、日高晤郎さんは三十五歳。
つまり晤郎さんは、圓生さんの全盛期(表現が不正確なのは百も承知で敢えて、、、)を十四歳から体感してらっしゃる事になる。
圓生さんがこの世をお去りになったのは、晤郎さんがSTVラジオで「おくさま広場」の放送を開始して一年五ヶ月後の事。
晤郎さんが影響を受けないはずはないと、私は圓生さんを聴き始めたというのが、私が最近落語を聞き始めたという理由。
果たして聴いてみると、随所に晤郎さんの話芸の香り。
言葉の運び。
呼吸。
間。
そんなこんなで、明日は大晦日。
お時間の許す方で晤郎さんファンの方は是非一度、六代目三遊亭圓生の落語を味わってみてください。
お近くのレンタル屋さんでCDを借りるのもよし。
余りよろしくはないのですが、現代ではインターネットの世界に圓生さんの落語の動画も少し出ております。
私は、上記の写真の通り、まずは「六代目三遊亭圓生 特選名演集」を買いました。
とても良い買い物をしました。
空の上の晤郎さんも喜んで下すってるんじゃないかと思うんです、多分ですけど。