日高晤郎ショー・フォーエバーの白川文字学的分析
☆晤郎さんが学ばれた白川文字学
昨夜、頂いたご質問に答える形で、私にとっては禁断の日高晤郎ショー・フォーエバーについて触れた。
触れてはみたのだが、もう少し書きたい。
中途半端はいけない。
食べ始めたら皿までちゃんと噛み砕きなさいと言う古いメソポタミアの言い伝えに有るような無いようなことだ。
なんだそれ?
白川静さん。
日高晤郎さんが愛した白川文字文学を作り上げた学者さん。
私も買いましてね、字書三部作。
まぁ圧倒的知の巨人です。
誤解を恐れずに言うなら、晤郎さんが「私はまだ名人になっていない」と仰っていた本当の処が良く分かります。
三遊亭圓生さんもそう。
それに関しては、おいおいここでも述べていきますね。
晤郎さんが何故、八十歳超えるのを望んでおられたのか。
今なら私、あの頃よりずっと鮮明に理解できます。
☆晤郎ショー・フォーエバーに関して
誰を責めるつもりもなく、ただ淡々と分析していきますね。
生前晤郎さんは、「俺が旅立ったら、もう新しい番組として受け継いで行く人が受け継いでくれたらいい」と仰っていました。
ところが、後番組に付いたのは日高晤郎ショーという名前。
晤郎さんのいらっしゃらない晤郎ショーと言う番組。
これは大変です、プレッシャーで押しつぶされないためには、鈍感であるしかない。
私みたいにサッサと去る人も多かったです。
また敷居が低くなったと色んなレベルの聴取者が参入してきたのも事実。
そして、晤郎さんの残像を護るためだけに番組参加継続されていた方も当然いらっしゃる。
そして結局、日高晤郎ショー・フォーエバーは一年で消滅に至った。
言葉とは実に不思議なもので、こういう状態を表す言葉がある。
キツイことを言うかもしれませんが、こういう分析もあるかもね程度に受け止めて頂ければ幸い。
日高晤郎さんは、日高晤郎ショーの中心であり、私達ファンの中心軸でありました。
そういう存在を「長」と言います。
読み方は「おさ」。
「長」の存在感があり、また魅力的でありますと、「長」を中心に集団は団結できます。
それは例えば「知」でもそうです。
まぁいわゆる知識ですね。
晤郎さんが御健在な折は、つまり私達は治まる事が出来ていたんです。
「長」まる、です。
しかし「長」が不在となった集団は、混乱するのが常。
そこで新たに治まるかどうかは、次の「長」次第なんです。
「長」
これはパーソナリティだけの問題ではなくて、番組自体の構成や潜在力も有るのでしょうが。
次の「長」がそのレベルを維持できなければ、必ず混乱が起こり、質の低下を招いて消滅します。
これが「長無い」状態。
そうです、これが「幼い」という事です。
白川文字文学に精通してらっしゃった晤郎さん。
「俺がいなくなったら、新しい番組を作って行けばいいんだ」
この言葉は、「長」からの願いでもあったのだと思います。
消滅しないための方策としての。
ただそれを、まっすぐに受け取れる方が少なかった不幸。
私は、つまり晤郎ショー・フォーエバーの標語
「良く笑えた日はいい一日だ」に幼さを感じ、その時間をパソコンやホームページの立ち上げの勉強の時間に回しました。
言葉は、生き物であります。
その分、優しく強く、そして恐ろしい。
晤郎さんから私が手渡された、これも宝物。