ひとつの出会い~仁和寺への旅

☆木村善幸 仁和寺特別コンサート風景

木村善幸さんの仁和寺特別コンサート。
その京都での三日間を一ヶ月に渡って書き綴ってきました。
今日はそのラスト。
この旅で出会った贔屓について。

東寺にて売店の方から「御影堂の所に亀の像がありますよ」と教えられ出会った亀の像。
贔屓
ほんとだ亀だ。
背中に石碑が刺さってる亀。
不思議な亀。
説明板にこうあった。 
「この尊勝陀羅尼碑の下の亀に見えるのは、中国の想像上の動物の贔屓で、竜の子とされ、重い物を背負う事を好み、甲羅に立つ石碑は永遠不滅と言われています。」

看板読んでようやく、亀じゃないじゃ~~んとなった次第。
贔屓

尊勝陀羅尼碑に記された文字は、教えの(真言密教の??)神髄という。
ここに記された文字を書き写したり唱える事で、減罪・除災・延寿の効果があるという。
背負ってるんだずっと、、、贔屓は。

しかし名前が贔屓(ひいき)だって。
変なの。
しかし世の中は便利になった。スマートフォンで検索すれば、なんか自分が賢くなったように錯覚してしまうほどに情報があふれて来る。

贔屓。
贔は、貝の文字が三つ。
貝は昔の貨幣を表す。それが三つで沢山の財貨と言う意味。
更に言うと、財貨が沢山あれば重い。
それだけ稼ぐには汗水たらして頑張るという意味も含むらしい。

そして屓。
尸は屍や人が屈んだ状態を示すらしい。
または屋根の有る家、倉庫。
その下に貝。
つまり頑張って頑張って稼いだ多量の財貨を蔵に収めるか、墓の下まで持って行く執着を表した言葉なのかもしれない。
あ、これ、解釈は私の勝手な想像が3割入ってます。
贔屓

その集中して働く様子が転化して、特定の人や物事に熱中して肩入れすることを贔屓と呼ぶようになったという説も有る。
なるほど、と腑に落ちた。

贔屓は言葉として、変な差別という意味合いもあるが、頭に「御」を付けると突然柔らかく温かくなる。
東寺の贔屓を眺めながら木村さん仁和寺コンサートの前日、晤郎さんを贔屓にしていて京都まで来た自分になんだかふんわりと不思議を感じてました。
贔屓

ちなみに東寺の贔屓は今年169歳。
なんでも北野天満宮近くの宗像社にあったものを、154年前に当時に移された物らしいです。
そして、空海が暮らした御影堂を眺めるように置かれているのが妙に愛おしく思いました。
贔屓

余談ながら、贔屓を愛しく思う余りにその前足を持って身を近づけようとグイと引っ張ったとします。
そうすると大切な尊勝陀羅尼碑が倒れてしまうでしょう。
、、、贔屓の引き倒し。
やっちゃいけないんですよね、それはね。
贔屓するにも加減が必要と言う話で。

さて、今日で本当に丁度一ヶ月。
仁和寺への旅のご報告、ここでおしまいです。
贔屓

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