思い出のマーニーについて考える~後編(ネタばれ)

☆映画の後語り2

「偶然ではなく、必然」日高晤郎さんの人生訓の一つ。
そのキーワードで物事を見るようになって、ずいぶん私の人生も変わりました勿論、良い方に。

現代では、全てではないですが、アニメだからと軽く見ない方が良いものが結構あるんです。
確かにアニメは創作物語ですが、その点では小説も映画も同じ、ただ手法が違うだけなんです。
この「思い出のマーニー」も、こう見ると話がすんなりつながって、という話の続きです。
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思い出のマーニー

☆内側と外側というキーワード

作品の冒頭、杏奈の言葉で始まります。
「この世には目に見えない魔法の輪がある。
輪には内側と外側があって、私は外側の人間。
でもそんなのはどうでもいいの。
私は、私が嫌い。」

生き生きと友達を作り社会生活を構成していく人々が輪の内側に住むのなら、社会になじめず孤立している杏奈は、輪の外側というわけです。
でもこの作品には、明らかに「内側」な人たちが出てきます。
後述の十一だとか、特定の人としか触れ合えないマーニーだとか。

他にも対立するモノが多く描かれています。
言葉と絵
屋敷の外と中
都会と田舎
現実と夢
孤立と本当の友達
夜と昼

杏奈やマーニーの心象風景として、天気が描かれているもの対立するモノとしての側面として考えると、場面場面の味わいが増してくると思いました。
それで大団円に向かって、対立していたモノたちが実は表裏一体であったという構造。
ここを頭において、以下の話を進めていきますね。
思い出のマーニー

☆佐々木頼子と大岩夫妻の場合

佐々木頼子は、現在の杏奈の養母。
ただ子育てに自信がなく子供への対処が下手。
これは結婚後のマーニーにも当てはまる。
つまり頼子もマーニーと同じく両親からの愛情不足の環境で育った可能性あり。
また何らかの事情で家族からの拘束も厳しかったのではないかと思う。
子供への愛情に満ち溢れているが、子供の顔色を伺いすぎる傾向にある。
夫は作品中では出張となっている。

一方、頼子の親戚の大岩家は、転地療法の受け入れ先。
場所は北海道東部の海沿いの田舎。
娘は社会人として巣立っており、夫は木工職人。
ジブリ 無量フリー画像 大岩さん
奥さんは、、、家庭菜園してるだけかな??
ジブリ 無量フリー画像 大岩夫人
とにかくおおらかな夫婦。
現実に満足しており、自分たちの幸せが何かと分かっている感じ。
札幌からやってきた杏奈を自分の子供のように接していて、見事な距離感。

ここもゆるい外と内を形成している。
勿論、外側にいるのは養母の頼子。
思い出のマーニー

☆十一(といち)の場合

杏奈の療養先の、小舟に乗っている「超」がつくほどの無口な老人。
小学校のがきんちょたちからからかわれても、何の反応もしない人。
ジブリ 無量フリー画像 十一さん
ただ昔、湿っ地屋敷に閉じ込められたように住むマーニーを知る数少ない人物。
十一はマーニーの悲しい子供時代をよく知っている模様。

そして十一も外側の人間。
外側の杏奈とは、なんとなく気持ちが通じ合う。
思い出のマーニー

☆久子の場合

杏奈の療養先の初老の女性。
キャンバス画を描くのが趣味なのか仕事なのかは不明だが、対岸に立ち、湿っ地屋敷を描いている。
まぁ少なくとも漁師の奥様という風情ではない。
実はマーニーの親友。

絵を通じて杏奈が次第に心を許していくのは、言葉が先ではなかったからかな。
またこの久子も、近くで湿っ地屋敷を描いている杏奈に「あなたの絵を見せて」杏奈の心の境界線を無断で超えることのない品の良さがある。
夢か幻か現実か分からないマーニーを描いた杏奈の絵を見て、押しつけがましくなくサラリと「私の幼馴染に似てる」と呟く。

かつて。
久子がその場所から湿っ地屋敷を描いたキャンバス画があって、それはマーニーのお気に入りとして現在も湿っ地屋敷に隠されていた。その絵の裏側に、破り取られたマーニーの日記の重要な頁が隠されていたと分かったのは、杏奈がこの地のやってきてから。
発見者は、綾香。
思い出のマーニー

☆彩香の場合

東京から湿っ地屋敷に引っ越してきたばかりの11歳の女の子。杏奈の1歳下。
家族の愛情をたっぷり受けて育ち、兄との仲もとても良い。
探求心旺盛で社交的。
天真爛漫で、人の心の痛みにも敏感で、変人扱いされている感じの十一とも自然に仲良くなれる素敵な女の子。
日常の中に何か素敵な物語が潜んでいるんじゃないかという好奇心は、天下一品といってもいい。

マーニーが離れた後の湿っ地屋敷には数家族が住み着いたみたいだが、それまで知られていなかったマーニーの隠された日記を、引っ越しの荷物が片付いていない自分にもかかわらず発見。
杏奈と窓越しに初めて会ったときに、マーニーが日記を取りに戻ったと勘違いすることで結果的に杏奈と親友みたいになれる。
杏奈も、大岩夫妻や十一、それにマーニーとの出会いで食欲も増し生命力が満ちてきて、表情も豊かになっていた矢先の運命の出会い。

これはマーニーと久子の友情に対をなす、杏奈と綾香の明るい未来の始まりと捉えていいと思う。
もしかすると、この出会いはマーニーが孫への人生の贈り物なのかもしれないと感じました。
象徴的なのは、マーニーが開けられなかった自分の部屋窓を、綾香はいとも簡単にスパーンと開け放っているところ。
生命力の塊です。

余談ながら、久子が、マーニーの住む湿っ地屋敷をキャンバス画にしてマーニーに贈りましたよね。
あれはマーニーの宝物になっていました。
おそらく、マーニーの部屋に住む綾香に、来年の夏あたりに杏奈が湿っ地屋敷の絵を描いてプレゼントして、あの綾香のことだから久子の絵と杏奈の絵を並べて部屋に飾って大事にするんじゃないかと想像できます。

なぜなら、マーニーの親友久子と、綾香の親友杏奈がほぼ同じ場所で同じ方向を見て同じ気持ちで湿っ地屋敷の絵を描いている描写がされているからです。
思い出のマーニー

☆破られた日記

マーニーは、なぜか自分の日記を隠していました。
しかも途中の数枚のページは破り取られて、久子からプレゼントされた湿っ地屋敷のキャンバス画の裏に隠されていました。

破られた部分には、これまでの日記と違って、幼馴染の和彦とのことが書かれています。
映画ではササっと場面が変わってしまうので、うっかり見逃してしまいそうですが、和彦とのことをどうやら両親やバアヤやメイドに知られたくなかったようです。
(録画のストップモーションで、書かれてること読みました。)

そして日記の途中、つまり8月中旬の数ページが破り取られ、それ以降の日記は白紙です。
つまり、破られて以降、マーニーは湿っ地屋敷に居なかったのではないかと推測されます。
つまり、家出。
そう考えると、この後の展開がすんなり収まる気がするのです。

大切な宝物の久子の絵さえ持ち出す暇のなかったマーニーの家出。
久子の絵がまだ湿っ地屋敷にあったということは、もう二度と戻ってこられなかった覚悟の家出。
思い出のマーニー

☆サイロの恐怖と、和彦

物語の中で印象的な丘の上のサイロ。
幼いマーニーが、あそこにはプルートー(冥界の王)が出て、人の魂を食らうとバアヤたちから脅されて恐怖を植え付けられていた廃墟のサイロ。(日記の記載より)

そしてメイドたちからのいじめで、そのサイロに閉じ込められそうになったマーニーの頭上で突然雷が鳴りだし空が荒れ狂い始めます。
これが決定的なトラウマとなって、マーニーに、屋敷の外は怖い世界だと人生の足かせになったような描写がされるんですね。
だから、自分の部屋の窓も自由に開けられない。

そして思春期。
和彦が登場します。
勿論、私ではないです。

日記によると和彦は、立ち向かわなければならないと伝えたようです。
その過程で、恐怖のサイロにも行かねばならないと。

でも私には無理、とマーニーは書いています。
これらは破り取られた日記の部分。

仮にも和彦が、サイロを怖がるな、サイロに立ち向かえというバカなことを言うはずがないと、同じ和彦として断言できます。
では何よ立ち向かうのか、そしてそこになんでサイロが関わってくるのか。

それは、駆け落ちでしょう。
飼い殺しにされている富豪の家族関係からの脱出。

おそらくこうです。
駆け落ちに向かうマーニーの心境の変化と和彦の説得。
そして落ち合う場所は、けしてマーニーが向かうはずのないサイロ。
やはり和彦は策士ですね。

一大決心をして、恐怖のサイロに向かい、一人じっと息を殺して待つマーニー。
雨の夜だったのでしょう、着の身着のまま人の目を避けて。
そこにやってきた和彦がかけた言葉「よく頑張ったね」のあの言葉です。

そのまま二人は息をひそめるように札幌へ出て無事結婚。
駆け落ちの証明はまだあります。

和彦もマーニーも病死したこと。
娘の絵美里を育てる余裕もなかったこと。
これは金欠もあるでしょう。
実家との関係が友好的であるなら、金銭的にも潤沢で、病院にもきちんかかれたはずです。
お手伝いさんも雇えず絵美里を全寮制に入れねばならなかった家庭状況の大元は、駆け落ちと実家との断絶だと思いました。
思い出のマーニー

☆ろうそくの願い

杏奈が療養にやってきた翌日は七夕まつり。
短冊に「普通の生活ができますように」と書きます。
その願いと共に灯したロウソクの炎は不思議な象徴だと思いました。

普通の生活がしたい、これは、杏奈の言葉を借りれば、外側から内側へ。
ロウソクの炎としての願掛けは、その後信子(ふとっちょ豚)との諍いを過ぎて走って向かった水辺の小舟の先端に答えがあるんじゃないかと思いました。
その小舟に、不自然にかなりの時間燃え続けたようなロウソクがあります。
まだ半分ぐらい残っているのに、杏奈がそれを見つけて戸惑っている間にフッと風もないのに消えるのです。

これは、「杏奈がやがて普通の生活ができるようになる」という成就の象徴かなと感じました。
物語の冒頭に、杏奈のハッピーエンドがやがて訪れるという暗喩ですね。
その炎が消えた後で、杏奈はついにマーニーと出会うことになるのですから。
思い出のマーニー

☆結局マーニーは幻だったのか?

これにはいろんな解釈が入り込む余地が残してあるので、どれが絶対という答えはないのでしょうが、私は幻ではないと考えます。

有名なユング心理学では、集合無意識というのがあって、人というのは何か心の奥で全部つながっているという考えなのです(正確な表現ではなくてごめんなさいね)。
その集合無意識では、時間も空間も関係ないのだそうで。

今これを読んでるあなたは、表層意識というもので文字を見て理解している。
例えるなら氷山の海面に突き出ている部分ですね。
で、集合無意識というのは海面下の氷かというと、そうでもなくって地球全体につながった海水という感じ。
そんなイメージ。

それで表層意識と集合無意識とかが連絡を取り合う方法の一つが「夢」だというんです。

杏奈が綾香に言う言葉があります。
「マーニーはね、私が創作した想像上の人だったの」と。
これは、日記も出てきたし、偶然の一致だね不思議だねとなるかもしれませんが、いいですか、これは杏奈の嘘です。
マーニーとの約束。
「私たちのことは、二人だけの秘密よ」を杏奈が守るためと、公式にも書かれていましたから間違いないです。
思い出のマーニー

☆最後に

マーニーと杏奈が互いを励ますように抱擁するシーン。
あそこでこんな会話がなされます。

マーニーはこう言います。
「これまでに出会った女の子の中で、あなたが一番好き。」 
この言葉に対して杏奈はこう返します。
「私もマーニーのことが一番好きだよ、今まで会った誰よりも。」 
マーニーが人生で一番好きだったのは、もうお分かりですね、そう和彦です。
なのでこういう表現になったのです。

作品最後のシーンは、娘絵美里と孫の杏奈へのマーニーの贖罪。
そして杏奈の、両親と祖母と頼子への杏奈の受容を表す「許すわ」になってくるのです。

ここでついに、魔法の輪の外側と内側が重なって一つになって、これからの幸せが充分に予測できるエンディングになっています。
本当に良い作品でした。
外側か内側かではなく、その両方で真の幸せが拓けてくる。

おばあちゃんから孫への想いに胸を打たれた103分の作品でした。
というわけで、あまりに気に入ったので、ブルーレイ発注しましたとさ。
思い出のマーニー

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