晤郎さんファン列伝⑤上館さん~その2
☆まずは訂正とお詫びから
メッセージを頂きました。
上館さんの館も間違ってますけど、上も一ヶ所間違ってますよ、と。
確認しました、昨日の記事ですね。
そんなこたぁないだろう。
いくら何でも上を間違うだなんて、さすがに我がパソコンもそこまで落ちぶれてはいないだろうと。
、、、、、、。
パソコンごめんよ、これは私の完全なタイプミスだ。
今確認して、皆さんが気づく前にとっとと修正しました。
政治家が良くやる、もみけしという技術を駆使したのです。
しかしなぁ、、、「上」という文字を間違うかなぁ、、、。
大丈夫か?私の脳。
というわけで、はい確かにご指摘の通り、ワタクシが間違っておりましたぁぁぁぁぁm(__)m
☆日高晤郎ショーと上館さん
このブログをやっていると、こういう出会いも嬉しいですね。
文字での出会い、というのもあるんです。
上館さんも、そうでした。
このブログを読んで、メッセージを下すった。
今日はこの、晤郎ショーファンの中の聴き巧者のお一人、上館さんのご紹介。
上館さんは、東京の大学で学ばれて卒業後に札幌に就職。
新天地での仕事に誰もが抱く期待と不安。
関東ではすでに春色だった風景が、まだ北海道では全体が鈍色。
引っ越し中のレンタカーのカーラジオをなんとなく入れたら、それがSTVラジオ。
昭和63年の春の土曜日の出来事でした。
このなんとなく入れてみたカーラジオが、上館さんと日高晤郎ショーの出会いなんですね。
「聴き始めて、3分で魅了されましたね」と、上館さん。
とにかく面白い。
そして時々、深い。
なんだこの番組は、と聴き続けていたら、目的地の札幌に到着してもまだ番組は終わらない。
調べてみたら、日高晤郎ショーというラジオプログラムで、毎週土曜日9時間生放送とある。
笑いあり、共感もあって、生きた情報もある。
そして涙あり、正しい怒りもある。
こんなラジオ番組、他にはないよと、それから毎週、晤郎ショーの9時間は上館さんの生活の一部になりました。
ところが、平成13年に東京へ転勤。
この時代には、いったん北海道から離れてしまうと、なかなか聞けないんですね。
それで東京のラジオを点けてみても、日高晤郎ショーを一旦味わった上館さんには物足りない。
離れて一層分かる、晤郎ショーの凄さ。
10年だったそうです。
その転勤後、上館さんは10年間、晤郎ショーを聴きたくても聴けなかった。
それが平成23年になって、再び札幌に転勤。
もう嬉しくて嬉しくて、聞けなかった10年の分だけ嬉しくて。
土曜日ごとに合わせる周波数1440。
「おはようございます!日高晤郎です!!」の声で始まる土曜日の朝。
やはりこれだよこれ、ラジオの前で自然と笑顔になれましたね、と上館さんは仰っています。
「転勤の多い仕事ですから」
この時は、2年間の札幌勤務だったんだそうですね。
また、日高晤郎ショーから離れなければならない。
但し、この時は時代が追い付いてきたんですね。
まもなく始まったラジコプレミアム。
迷わずに加入して、東京で日高晤郎ショーを楽しめる土曜日を過ごしてらっしゃったとか。
「晤郎さんは凄いです。昭和の若い時分の晤郎さんに魅了されたんですが、平成中期になっても、その熱量が変わってない。
いやむしろパワーアップしてる。
これはね和彦さん、私が、聞きたくても聞けないという期間を長く過ごしてきたから、余計に感じるんです。
晤郎さんも、日高晤郎ショーも、私たちがが思う以上に凄まじい存在だったなぁって思うんです」
そしてこうも仰っています。
「やっぱり日高晤郎ショーの最大の魅力は、、、色々ありますけど、やっぱり晤郎さんの話術と、スタジオのお客様との一体感ですね。
これはもう、言葉で表現できない独特の味わいでしたよね」
☆晤郎ショーを宿して生きる
2018年春。
上館さんが晤郎さんに出会って30回目の春。
日高晤郎さんが出演されている本物の日高晤郎ショーが終わりました。
上館さんも多分に漏れず、大きな喪失感に襲われたそうです。
途中10年離れていたけれど、楽しみ続けて30年。
それが実は、慕い続けて30年だったのだと改めて気付けた2018年でした。
「私、スタジオやディナーショーに行ったことが無いんです。
だから、そんなにラジオを通して以外の晤郎さんを知らないんですね。
でもたった一度だけ、50時間56分命懸けの生放送の時、STVホールに居たんです。
あの一回きりのSTVホールと日高晤郎さんは、今でも私の中に鮮明に焼き付いてるんです。
長時間の不眠不休にもかかわらず、晤郎さんのあの凛とした姿勢は、私の憧れになっています。」
そう上館さんは仰ってる。
またこうも続けてらっしゃいます。
「私、演歌、嫌いだったんですよ。なんかこうドロドロしてるし。野暮ったいイメージがあって。
でも晤郎ショーを聴き始めて、価値観が一転しましたね。
そうなる切っ掛けは、晤郎さんが天童よしみさんを全面的に推してらっしゃる場面に触れてからです。
あの時の曲は、積丹半島、でした。
演歌の裏側にある、人生と、日本の心と、失われていきそうな情念が、ストンと私の胸に収まったんです。
これもやはり、晤郎さんの話芸の力だと思います。
気づかせるという話芸の一面でしょうね。
だから今ではもう、演歌大好きです。」
上館さんの座右の銘は、「日々しあわせ感じ上手」
晤郎ショーにはこうして聴き続けて聴き続けて聴き続けて、胸に晤郎さんを宿してらっしゃる方がいる。
間違いなく上館さんは、晤郎ショーから育った聴き巧者のお一人なんです。
ああそういえば5年前、日高晤郎ショー最後の放送があった、もうそんな時期ですね。
さて今日は、更に春の陽気の札幌。
雪解けも一気に進みますね。
上館さんが晤郎さんと出会って、35年目の春。
空の青さが胸に沁みます。