スタジオ見学で失ったもの

☆集中力と記憶力

日高晤郎ショーは、ただ聴いてるだけでも楽しい番組でした。
私は当初、ただ自室から聴くだけのファン。
その後、手紙を書くファンとなりました。
そして最後の方は、スタジオにも通うファンになりました。

このことで、強く言えることがあります。
「スタジオに通い出したら、聴力が落ちる」

これ、私だけではないんです。
ご自宅や職場で聴きこむだけだったファンの方が、細かいことまで覚えてらっしゃるんですね。
聴力が落ちると言っても、耳が遠くなるという事ではないんですね。
つまりこういう事です。
晤郎さんの仰った事や番組の展開への記憶力が落ちる、という事です。

スタジオに通い出すと何故、細かい記憶力が落ちるかと言いますと、視覚・触覚・場合によっては嗅覚・味覚も加わってきますからね。
それと、他のファンの皆さんとの呼吸を合わせる気遣いや、スタジオの侵攻を壊さない気遣い。
こちらに神経を回さないと、スタジオに座れないわけです。

もちろん、スタジオ見学から得られた思い出や学びは多いです。
しかし同時に、心に深く残っているのは、スタジオ見学を始める前の放送や学びですね。
これはつまり、聴力に集中して得た学びがかなり深く精神に根付くという事ではないかと思うんですよね。
第一スタジオ、談笑

先日、こんなことがありました。
とある晤郎さんファンにお会いすることがあったんです。
別件で、偶然にお会いしたのですが、話を進めるうちに互いに晤郎さんファンだと分かったんですね。
その方はずっと、ラジオを通してのファンなんですが。

以前にもいらっしゃいましたが、こういう方の聴力と記憶力が凄まじいんですね。
この方のお話で、ちょうど私がスタジオに通ってた日の内容があったのですが、私はすっかり忘れていて、その方はほぼ晤郎さんの言葉を前後含めて明確に覚えてらっしゃる。
鮮やかでしたね。

しかも、このブログの存在をご存じで、いやもう冷や汗出ました。
その晤郎さんへの思いの深さに。

改めて、日高晤郎ショーファンの広さと深さを知らされた先日の出会いでありました。
そうそう。
その方と私の共通意見があったんですよ。
それは、こういう事です。

「晤郎さんと晤郎ショーの記憶が、このまま薄れていくのはあまりにもったいない。」
日高晤郎ショー発信の場所

さて、もう11月。
今年も終わりが見えてきました。
私が元々晤郎ショーで鍛えてもらった聴力と記憶力を回復させるため、ちょいとそういうトレーニングも加えてみようかなと考えております。

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