哀しみの句読点

日本語が、加速度的に変になりつつあります。
日高晤郎さんの使う日本語が本当に好きで、当時ファンになった方も多かったと聞きますし、私の周囲でもそうでした。

その日本語が、だんだん妙なことになって行ってる。

前にも書きましたが、最近では「兄弟」と「きょうだい」と表記。
こちらは随分昔からですが「子供」を「子ども」。
「障害者」を「障がい者」など。

漢字が多すぎるもの確かに分かりにくいですが、平仮名が多すぎるのも分かりづらいし意味が分からなくなります。
これは多分ですが、外国人にも分かりやすくするためもあると思います。
多様化する社会。
移民も増えていき、このままではおそらく30年後には日本文化も無くなる可能性が出てきました。
その頃残るのは、観光地の見世物としての日本文化だけという光景も現実味を帯びてきています。
スマホのライン

そんな中。
今朝こういうニュースを目にしました。

スマートフォンのライン。
ここでの文章に、句読点を付けると「怒っている」と取る若者が多い、そうです。
いやいやいや、句読点をシッカリつけないと意味が分からんだろう、、、。
どうにも暮らしにくくなりましたなぁ。

これは、日本語が壊れてきているという事です。
正しく使っても、それが伝わらないんですから。
ましてや若い世代で、句読点が使えない。

文化の崩壊は言葉から、です。
スマホのライン

ああ、日高晤郎さんが懐かしい。
かつて「言葉のビタミン」の原稿を下すったときに、晤郎さんはこう仰いました。

「この原稿はね、今日の放送からディレクターが拾ってくれたもの。だからね、和彦さんはこれに正しく句読点を打ち直して読んでください。」
有難いお言葉です。
ああ、句読点を大切にされていた日高晤郎さんが懐かしい。

う~~ん、今日の文を読み返すとくとうてんが多いなぁ、、正しいんだけどなぁ、、若い世代から怒ってると思われるのかなぁ、、、まぁ怒っているから良いんだけどさ。

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