明日への贈り物直前放送~日高晤郎ショー4

< 明日への贈り物直前放送~日高晤郎ショー3より続く

~CM明け
コーナーテーマ流れる

晤「ちょいと短めに、た行のた、祟り。(※なぜか、言い間違っておられます。)
と言ったって、時間がないわけじゃないんですよ。
私が、端折りたいだけ。
本当は、休みたいんだから。」

※ 内容ダイジェスト

秀吉は信長をみてた。
佳き先生でもああいう終わり方をするんだと学んでた。
だから天寿を全うすることができた。

ただこの秀吉を、天手古舞させたのが、伊達政宗。
伊達家が仙台に移って、はじめてあの辺一帯が伊達になった。

秀吉とも戦って一歩も引かなかった、いわゆる伊達っぷりを見せたって言うけど、これは嘘。
伊達政宗、意外に思われるかもしれないが十七代。

他の人がほとんど間違うのが、九代。
もうとっくに正宗の時には亡くなっていたので、九代目で良いんですがここも政宗同じ名前。

伊達政宗の父は十六代照宗。
名君ではなかった。

十七代の正宗。
昔、萬屋錦之助主演で映画が作られた。

敵兵に追われ、家来と藪の中に逃げ込んだ政宗。
雷鳴と大雨の中、正面の敵が放った矢が左目直撃。
それを手で引き抜いて以降、独眼竜となったと言うけど、正面から矢が芽を直撃したらまず死ぬ。

実は、幼少の頃の疱瘡が原因で右目を失った。
それで独眼竜と言われたが、本人はこの名を嫌っていた。

瑞巌寺と言う寺がある。
そこにある政宗の像を見に行ったことがあるけれど、小さく右目が付いていた。
これは宿願だったのだろう。

政宗が失った大きなものが二つ。
ひとつは生母の愛。
母からずっと毛嫌いされ続けた。
母は弟を溺愛していた。

それで政宗18歳の時、母を追放し、弟を惨殺。

のちのこれが藩祖。
そもそもの伊達家の祖になった。
これくらい荒っぽい。

だけど私(晤郎さん)が思う政宗が失った心の奥の奥は、おそらく右目よりもっともっと深かった。

政宗は、英才であり秀才であり天才であった。

だからこの親族の愛情と、右目とを失った傷をとおして得たものは、何が何でも生きてやるという気概。
なので秀吉などおちょくってやるぐらい何ともない。

それで私が思うに、あの伊達な作りや派手は、絶対に秀吉に対する当てつけです。

同時に秀吉は喜んだ。
秀吉は頓智のきくユーモアの分かる漢。
どんな場面でもへらっと笑う奴を、あいつは怖いと思うはず。
秀吉の感覚、感性からまんまと見抜いたのが政宗。

京に上るときに思いっきり派手に行こうと決めて、それが都で評判になったら秀吉は笑うしかない。
私はそう結論付けてる。

政宗の生き方の中で、実はあれは剛のもんだけじゃない、併せ持ってる。
ここが政宗の天才たるとこだと私は思う。

とりあえず、今日はここまで。
た行のた、伊達。
(スタジオ拍手)

~CMへ 

< 明日への贈り物直前放送~日高晤郎ショー5へと続く

< ターミナル明日への贈り物直前放送~日高晤郎ショーへはこちらをクリックされてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください