日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1993年 その2

< 日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1993年 その1より続く

小和田雅子さん。
これご結婚の儀がこの年なんですよ。
あれから20年、ねぇ、経つんですよね。

ああ、この問題は色々あるでしょうな。
七月に奥尻島。
はい。南西沖地震、あの津波で176人の方が亡くなられた、マグニチュード7.8。

晤郎ショーが、後にもって言い方するけど先にもはこれからあるかもしれませんが、あれだけ空席だらけの席で9時間やった外での仕事はここが初めてでした。

で、打ち上げの時か、打ち入りの時か、どっちか焚火で食事を頂きながら浜でね。
その時、世話をしてくれた青年部か何かの方がポツンと、こんな事してて良いのかなぁって仰ったのがえらく印象的で。
まぁそれは同時にそれは腹立たしい事でもありましたよ一人の芸人としては。
だけどあちらの心中を思うと、そりゃそうも言いたくなるだろうなと。

で。
確かね、それはこの年ではなかったんですよ。
立ち直って何とか勢いづけるって。
その時に、晤郎ショーが持ってる明るさね、突き抜けるような明るさね。
そういうものを一切ものともせずというやり方がね、正しいのかどうか。
でも私は正しいと思ってやらないといけないと。
色んな事を考えさせられたそんな体験ではありましたね。

後はもう。
そんなものは一時の流れで、政治ってものはそんなものだと、土井たか子。
女性で初めて衆議院議長になったって言う。

随分昔のような気がしません?
平成五年の事ですよ。
随分遠い記憶になってますがね。
まぁでも、政治の世界は相変わらずですね。
訳の分からない党がボコボコボコボコ出てきたりして。
で、今打ち立てた政治のビジョンや何かも結局は参議院選挙、結局ネット選挙の開幕だって言ってるけど、なんてことではないそれで選挙ができるってわけではない。
これがどういうふうに形を成していくのか。
本当に政治家たちは国民の方を向いて、政治の仕事をやってるのかどうか分かんねぇなぁ、その日暮らしみたいに。ひぐらし長山洋子
蜩ひぐらし 長山洋子
長山洋子はこの曲でもって紅白歌合戦初出場。
うん。
で、もう一人初出場の人が居るんです。
その人がこの時代で。
それを今日はフルコーラスで聴いて頂きますが。

八月に東京湾レインボーブリッジ、あれが開通。
798mという。
封鎖できません!!って言ってた男が居ますがね(スタジオ笑)。

同時に羽田空港の新ターミナルビル、ビッグバードっていうの。
これも併用開始しました。

そうやってもう一つは、横浜みなとみらい。
横浜ランドマーク、これが高さ296mという日本一のビルになった。

霞ヶ関のビルが20階建てくらいで大騒ぎしてたんだから。
出来たばっかりの時に、私はまだ銀座勤めでしたから弾き語りで。
で、大地震が来てあれ?横をトラックが走っているのかな?
おかしいなでも新橋へ向かう道ですから、霞ヶ関を後ろにして。
で次の日新聞みたら霞ヶ関の全部エレベーターが止まったって言う地震だったんです。
車揺れましたからね。
橋でよく横をダンプが通ると揺れるようなあんな感じ。
で、人間そういう時どうするかって言うと必死にブレーキ踏んでる。
だからなんてことはないんですよ、地震だった。
私が車の中で体験した、その頃は車運転してましたから、その当時に流行った映画というのがジュラシック・パークです。
なんか皮肉ですね。

流行語大賞はもうJリーグですよ。
サポーターとか、それからミサンガ、ね、あの手首に巻く。
そんなところで。

これって言う大ヒットは無かったけれど、大ヒットでこの人が今、押しも押されもせぬ歌手として認められた記念的な年ではあります。

私にとててゃ思い出深い。
この人の小さな節回しの、それくらい天才的な回しようってのはありませんよ。
無駄がなく、ひつような分だけ。
どうです?上手いでしょうというというふうに捏ね繰り回さなくて実に唸るほど上手いというのはこの人ぐらいだと。
毎週毎週この人の曲を聴いて思いを深くしました酒きずな天童よしみ
天童よしみ 酒きずな

ね、天才でしょ。
もうこれはね、どうしようもないんだ。
自分の時代に天才が生まれてるってことに、天才が活躍してるってことに、喜びを感じる事しか手はないんです。
天才って、天賦の才だから。
そういう時にある種の敬愛をもってね、もう誇らしく思う事ですよ自分の時代を。

僕ら天才を持ったんだから。
王が居て長嶋が居て、ちょっと前に力道山が居て。
古橋が泳いでいて、美空ひばりが出てきて、僕らは天才と一緒に時代を共にしたんですよ。

今幾つになった人でも、今そこまで行ってないという若い人でも、私たちの時代は天才を持っていたんだという事を誇りに思えるなら、天才のかけらの才能はある人達です。

後は磨けば、天才にはなれなくても近づいては行けるんですから。
諦めるもんじゃないんです。
天才が居てくれるという事が大事なんだから。
人生の楽しみの指標なんですよ、芸人の天才ってぇのは。

こうやって振り返るのは、時代をただ出してるだけではないかもしれませんね。
これはラジオの中でやっておかねばならない大事なページかもしれないな。

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