映画:八犬伝(2024)
☆曲亭馬琴に焦点が秀逸
昨夜、アマゾンプライムで観た映画は、昨年秋に公開された「八犬伝」。
話がバタバタしていて、作者馬琴の場面と、馬琴が描く八犬伝の場面の入れ替わりが激しくて、混乱するといった意見も聞いてはおりましたが。
私は元々は、NHKでやっていた人形劇の新八犬伝を見て育った世代。
あれが余りに良く出来ていて、当時図書館で、馬琴の書いた南総里見八犬伝の現代語訳を読み、更に感激し。
そのNHKの新八犬伝の本と写真集も買い集めてといった、映画を観る前に八犬伝とはどういう物語かをきちんと把握できておりました。
だから余計にすんなり、今回の八犬伝が胸に落ちてきたのだと思います。
現実の曲亭馬琴が江戸の町で創作に没頭し、作品を紡ぐ過程や苦悩が描かれ、その段階段階で挿入される八犬伝の映像。
いいのです、いくら犬の八房が、はっきりコンピューターグラフィックと分かっても、銃撃の後、そこに居なかった筈の伏姫が現れたとしても、それらは全て馬琴の描く作品八犬伝の脳内映像化なのですから。
大事なのは、馬琴がどのような思いで八犬伝を作ったのか。
そこが肝なのですから。
映画終盤で、馬琴の嫁お百が廊下に倒れ、息子の嫁の忠誠を悔しそうに睨み上げる場面がありました。
そこも短い場面でしたが、秀逸でした。
なるほど、お百さんは馬琴にそういう思いを抱いていたのか、と。
他にも、立川談春さんの鶴屋南北も圧倒的な存在感でした。
馬琴の、八犬伝創作に懸ける思いを描いた「八犬伝」
江戸時代にあの荒唐無稽でありながら天衣無縫である物語を描いた馬琴は凄い人だとは思っていました。
ただ今回こうして映画化されて、そこに描かれた命をギリギリまで削ってという姿勢が、重なりまして。
胸を打たれました。