久々の外郎売

☆今日も外郎売の練習

今日は日曜日。
久しぶりの仕事休み。
こういう時は、先日区切りの付いた東日本大震災報道のリンク付けなどやれば良いものを、雑事に追われて一日。
結局、出来ずに終わろうとしている、、、。

ところで日中、あれこれ溜まった用事を済ませながら、久々に晤郎さんの外郎売を聴いた。

前にも書いたが、晤郎さんが旅立たれた後、哀しさから逃げるために外郎売の暗唱練習を始めたのだ。
一言で言うなら、「奥が深い」

まずは、全文の意味を調べ、理解し。
そこから、ただ暗唱が出来るまでに時間がかかり。
次に日高晤郎流の分析に取り掛かり。
初めて人に披露したのは、あの胆振東部地震の夜。
人に披露したと言っても、娘にだけれど。

それ以降は、言葉が自分に馴染むまで、、、いや。
自分が言葉に馴染むまでと一人楽しく練習を重ねてる。
そうか、もう3年になるのか。
最初の一年半は毎日、それからの一年半は三日に一度の割合で、練習を続けている。
変に思われる表現かもしれないが、その練習は、どこか晤郎さんと私の会話でもあると感じている。
だから続けられているのかもしれない。
歌舞伎十八番

☆日高晤郎さんの名調子

話しは戻って。

今日、あれこれ雑事の合間に、久々に日高晤郎さんの「外郎売」の録音を聴いた。
その感想。
「やっぱり奥が深い。」

初期の頃に聴いた晤郎さん流外郎売と、今は格段に受ける印象が違うのだ。

練習することによって、目と耳が肥えたのかな?
微細な言葉の抑揚などが、命を持ってこちらに迫って来る。
口上途中の息継ぎなんかも芸術性が高い。
何より、江戸時代の街並みが浮かび上がってくるようなあのテンポと強弱。
頭では分かっていても、これ、簡単にできる代物じゃないと痛感。
晤郎さんの中で、外郎売の人物が、しっかりとした命を持って存在していたんだと、今なら分かる。

最初の頃は、ただただ凄いと感じていた。
だが今は、この部分のこの発音と発声が別次元などと、朧気ながら具体的に視えてきだしている。
なので今はもう、別次元の圧迫感と存在感とを持って迫ってくるのだ。

とにかく、日高晤郎流外郎売、奥が深い。
早く、晤郎さんの外郎売について集中して書きたいと思う。
悔しいけれど今は無理。
COVID-19からの波で、全てが雑然と迫ってきている。
やらねばならない事が多すぎる
こういうのが落ち着き、いつか退職したら絶対にそうしたい。

何度でも言う。
日高晤郎流外郎売、知れば知るほど、奥が深い。
歌舞伎 外郎売の図

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