一通の手紙
☆晤郎さん仲間からのメール
晤郎さんが旅立たれてから、手書きの手紙を書く機会が激減している。
これは由々しき事態で、あの頃は普通にササっと書けた便箋への直筆も、いまではかなりの心構えで挑まねば集中力が便箋半分で切れる。
どうにもこうにも、よろしくない傾向にある。
文章を作る量はあの頃よりぐっと増加しているのだけれど、それらすべてパソコンであったりするので、書くと言うより打つ作業なのだ。
但し、打つと言っても基本は頭の中でペンを執り便箋に書き出してるイメージなので、書くという範疇に入れてもいいかなとか思っている。
さて手紙。
英語でメール。
このメールと言う単語も、携帯電話普及に伴い、電子通信とイコールとなって定着してる。
言葉は面白い。
時代によって命の吹き込まれ方が変わってくるのだ。
そんな事をつらつらと考えていたら、晤郎さん仲間からメールが届いた(携帯電話の方のアレね)。
いつも明るく元気な方なのだが、実は内面がとても繊細。
そして人知れずの気配りも素晴らしい方。
その方が今、人生の内のかなり大きな分岐点に立たされていると知った。
晤郎さんが私達の前から旅立たれても、こうして大事な時に家族の様に言葉を交わし合える。
手描きの文字であろうと、タイピングの向こうの電子データの文字であっても、心は通い合わせることが出来る。
「俺が居なくなっても、ここのお客さんたちにはずっと家族だから。それはずっと続いて行って欲しい、俺の願いだから。
ある時の晤郎さんの言葉が蘇る。
とても大きく人生の舵を切ろうとしているトモダチに、負けないで!と声援を送った。
全ての人がどうかどうか、幸せでありますようにと願いを込めて。