晤郎ショーと、私の200円のラジオ

☆日高晤郎ショーと、孤独な一人暮らしと、小さなラジオ

昭和から平成に変わり、私が北海道で一人暮らしを始めたとき。
貯金は3万円もなかった。
新しい仕事の初任給は2ヶ月後。
もちろん、電話もテレビもない暮らし。
通りがかりの質屋で買った200円の青いラジオが唯一の情報源だった時代。

寂しくて切なくて楽しかった時代でもある。
そんな貧乏生活で、何故に楽しい?と思われるかもしれないが、当然それには理由があった。
その理由とは、親元から離れられたから。

お酒

☆日高晤郎ショーを伝えてくれる青い小さなラジオ、私を変えるために。

当時の仕事は土日が休み。

土曜は丸ごとウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーに充てた。
200円の青のラジオで9時間、聴き続けるのが決まりであった。
笑いたいから。
泣きたいから。
感動したいから。
それらの理由以上に、私は学びたかった。

晤郎さんの御幼少の頃の家庭環境は、大きな意味で私が育った環境にとてもよく似ている。
似ているのに違うところは、晤郎さんの持つ明るさ。
私は自分を変えるために、晤郎さんの明るさという強さを学び取りたかったのだ。

お酒

☆次世代へ手渡した私のラジオ

平成9年秋。
私の戦友の青いラジオは、人生を真剣に考え、そこで日高晤郎さんに共感を抱いた若者へ手渡した。
君も頑張れとの思いを込めて。
今でも元気で居るだろうか?

2019-04-10 20:58:45

アメブロ投稿記事より転記

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