訃報~六代目三遊亭円楽さん

☆2022年9月30日

もう10月になりました。
今日は、プロレスラーのアントニオ猪木さんがご逝去されたとの報道がありました。
そして昨日は、噺家の円楽さん。

円楽さんはね、、、言葉を学ぶ上で注目していた噺家さんなんですよね。
晤郎さんが学ばれたであろう噺家の名人の一人、私が常々触れている六代目三遊亭圓生師匠。
寄席育ち 六代目三遊亭圓生
もう圓生さんの噺の中に、晤郎さんの面影が随所にみられるんですが、そんな圓生さん、名付け親だったんですよ。

円楽さんの前の名前は、ご存知の方も多いでしょうが、三遊亭楽太郎。
その楽太郎の命名者が、圓生さんなんです。
芸に対して、晤郎さんのように厳しく真摯であった圓生さんは、真打ちを乱立させる落語協会に対し、芸の質を下げることになると反旗を翻し独立。
その際に圓生さんに付いていったのが、圓生さんのお弟子さんである五代目円楽さんであったし、そのまたお弟子さんの楽太郎さんでもあった。
何となくこの気概も、晤郎さん的なんですよね。

先代がお亡くなりになり、円楽を襲名という流れになって楽太郎さんは「楽太郎」の名を変えることに抵抗があったと、何かの記事で読んだことがあります。
それは圓生師匠への思慕であったのだと思います。

圓生さん没後、その名を消してはならぬと圓生襲名の動きが起こります。
幾人かの候補者があって、結局どなたも受け継ぐことは無かった。
それに対して「自分は中継ぎとしてでも圓生を受け継いで後世に遺したい」と公言されていたのが円楽さんでした。

晤郎さんが旅立たれた2018年4月。
そのおおよそ半年後に肺癌を発病。
手術後一旦は復帰されたのだけれど、翌年、脳腫瘍が発見されその治療。
高座復帰はされたのですが、病はその後も残り、ついに昨日、永眠されました。

病と、芸。
日高晤郎さんも。
六代目三遊亭圓生師匠も。
そして六代目三遊亭円楽師匠も。
そこから私たちに訴えかけてくる共通の何かがあるように思えます。

享年72歳。
もっともっと、この齢の円楽さんの噺を聴きたかったです。
どうぞ安らかに。
合掌。
六代目三遊亭円楽さん



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