春風亭一之輔さん②
☆噺家(はなしか)と落語家
私の好きな噺家さんが6代目三遊亭圓生さんであることは前にも書きましたが。
その圓生さんに噺をあれこれ教え伝えた一人に、三遊亭一朝という人がいる。
この方は1846年に生を受けていますので、江戸時代末期のお生まれということになります。
つまり22歳の時に倒幕を目の当たりにし、明治が始まる。
この一朝さんが言うには、江戸時代は落語家という言葉が無かったと伝えてらっしゃる。
落語家という言葉ができたのは、明治5年、寄席芸人への鑑札を作るにあたって、時の警視総監、、この時は鹿児島方だったそうですが、つけたんだそうです。
では、江戸時代はなんと言ったか。
昔話と言ったそうなんですね。
そしてこちらも故人となってますが、五代目古今亭今輔さんがこうおっしゃっています。
「いわゆる落語というのは、落とし話というわけなんですが、私達は人情噺もやれば怪談もやる。
だからすべての話に「オチ」がある訳じゃないんですね。
やはりここは、噺家というのが正しいんだと思います。」
☆寄席の衰退
ちょうど私が生まれた昭和30年代後半あたりからですかね。
テレビ文化が映画界を圧迫し、娯楽の選択肢も一気に増え、昔ながらの寄席などは衰退の兆しが出てきた。
それから、噺家さんの一部はテレビ芸人と化していった。
事実はそうではないかもしれませんが、多くのテレビに出ない噺家さんも、テレビウケするような芸の形に変わっていった気がしています。
だから私は、ある時期まで落語に全く興味がありませんでした。
聞いてて、つまんないし。
ところがたまたま教育テレビだったかな、どこかの噺家さんが「らくだ」をやってて、それがまた面白くて。
「らくだ 落語」で検索したら沢山の「らくだ」が見つかって、そこで知ったのが六代目三遊亭圓生さんだったんです。
そこで初めて、落語、、、つまり噺の奥深さと温かさと味わいを知らされたんですね。
ところが既にその時は、圓生さんも故人だったというわけで。
☆春風亭一之輔さん
噺ってのは、聞き手にも合う合わないってのがあって。
誰でも良いってわけじゃないんですね。
同じ噺でも、噺家によって味付けが随分違うわけです。
料理と同じでしょうね、この辺は。
ところがつい半年前あたりに、現存する噺家さんで気になる味わいを出してる人が居た、それが春風亭一之輔さんでした。
まず、どこかかったるそうで、陰気。
いや、高座に上がる前ですよ、普段の様子。
もちろん私が見た感想ですが。
だいたいこういう感じの方は、変人か物凄く芸を極める方だろうというのが私の尺度。
それで、無料配信の噺を聴いてみたが、これがなかなか味わい深いんですね。
ユーチューブというやつですね。
どれ、一つリンクを貼っておきましょう。
下の青文字をクリックしてみてください。
無料という言葉に弱い私は、遠慮会釈なく聴きました、どこもかしこも。
そしたらまたこれが、今の時代も絡めて良い味わいなんですよ。
古典落語がお得意で、200を超える演目を習得されてるんだとか。
まぁ、放っといても今大人気の噺家さんで、チケットがなかなか取れないというんですね。
☆笑点メンバーとして
ということで実は、先日の笑点新メンバー発表の時、いつもは観ない私が番組開始15分前からテレビの前に正座。
それで本当に一之輔さんが出てきたときには本当に驚きましたけどね。
正座しながら、まさかそうはならないだろうと思ってましたからね。
しかし良かった、これからの楽しみが増えました。
収録番組とはいえ、毎週一之輔さんが見られるわけですから。
テレビ文化などに力を削がれていった寄席文化が、この笑点をきっかけに良い形で再興して行くかもしれません。
もしくは一之輔さんさえ、テレビの重力に飲み込まれてしまうのかもしれない。
楽しみながら、注目しています。
こんな戦いは前にも有って。
晤郎さんファンなら分かるはずです。