木村善幸さん鑑賞への基礎知識③

☆三味線と津軽三味線

昨日までは二回に分けて、和太鼓について書きました。
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今日は津軽三味線について。
でも、三味線と津軽三味線、何が違うのと今一つ理解してない私。
ちょいと調べてみたんです。

という事で、今日は三味線についての前編です。
三味線

☆三日目は、三味線前編

三味線というのは猫の皮をはいで作るんだよと祖母から聞いて、幼い私は眉をしかめたものです。
猫の皮だんて。
それで中学生のころだったですかね、ふと調べたくなってあれこれ本を開いて。
しかし今は便利なんだか不便なんだか、スマホでちょちょいとボタン押したら、機械が調べてくれる、これじゃ脳がサボるようになるわけです。
やはり、本を開いて自分の感覚で答えを探っていくというのが脳にはよろしいわけで。

ある本を開いて、町の図書館でしたね、ある本を開いてそこに、三味線は猫や犬の皮を使って、、なんて書いてある。
よもや犬までとは、、、と驚いた記憶が鮮明に残っています。
今では合成皮を使ってる三味線もあるんだそうですが、たぶんそれでは音色も良くないんでしょうね。

落語に、猫忠という演目があります。
三味線の猫皮に関わる噺です、いいもんですよ。
三遊亭圓生さんの猫忠、是非機会があればお聴きください。
これについてはまた日を改めてここで紹介した方が良いかな。
さて、前置きが長くなりましたが、今日は三味線の前編です。
木村善幸コンサート「祈り」in札幌

☆三味線の歴史

先日寄席に行きましたでしょ。
そこに音曲とか俗曲って出し物がある。
お名前は失念しましたが、三味線を弾いて歌う着物姿のお姐さんが上がられましてね。
三味線の調子を整えながら、本調子・二上がり・三下がりの説明をして下すった。
風情がありました。

そして細棹・中棹・太棹と種類も三種類あって、それぞれ義太夫だの清元だの常磐津だの浪曲だのと棹を使い分けるとも話してましたね。
津軽三味線には、太棹を用いるそうですね。
寄席も色々と勉強になるんです。
三味線

一説には、中東発祥で、それがインドに伝わり、そこから中国・沖縄・近畿地方と来たと言います。

ハッキリしているのは、中国の三弦というのが源流で、そこから各地に伝わっていき、そこここで独自の進化を遂げて現代に至っているそうですよ。
それで三味線はどうもまず琉球、今の沖縄ですね、そこに伝わって三線(さんしん)になった。
この三線には蛇の皮を使うってのは聞いてましたが、これを蛇皮線と言って、これが貿易を通して日本に伝わって(当時、日本と琉球王国は別でしたからね、国として)ジャビセンからシャミセンになったなんていう話もあります。

まぁ、三線が三味線の祖先というのは間違いないんでしょうが。
三本の線の味わいと書く三味線、命名の妙ですね。
三味線

話を戻して、日本で最初に手にしたであろう奏者は、琵琶法師。
盲僧琵琶と言いまして、当時、天台宗系列の低級僧侶だったそうです。
その盲目の僧侶たちが琵琶を弾くのに撥(バチ)を使っていたんですが、三線を初めて手にした琵琶法師たちは琵琶の使い慣れた撥をそのまま三線にも使ったのだろうと言われています。

その後、三線は撥奏法に合わせた形に改良されていき、しかも日本には当時、そんなに大きな蛇の皮も手に入らず三味線に変化改良されていったのだという事です。

これが江戸時代になって、演芸に積極的に取り入れられ始めました。
やはり世の中が安定して初めて、文化というのもは豊かに発酵を始めるものですね。
歌舞伎、文楽、長唄、小唄、常磐津、箏曲などへ拡がりを見せて行ったようです。
寄席に行くと、古典落語で良く触れることになる世界でもあります。
ここの分類や理解は、私にはまだ三回の荒野。
いずれ勉強しますね。
三味線

☆津軽三味線

さて。
江戸から各地の土着文化と交わりつつ、定着して行った三味線。
そして、、、。

江戸時代から明治にかけて、日本海側の海運で活躍した北前船。
この船で主に新潟方面から津軽にわたった三味線は、やはりこの地方でも盲目の僧たちの生業となっていったようです。
このあたりの詳しい記事は、弘前市のThe津軽三味線実行委員会事務局の記事に詳しく記されています。
三味線

つまり津軽三味線の発祥は、明治初期。

日銭を稼ぐ芸としての三味線は、ライバルより目立つ必要があり、自然と太棹へとシフト。
更に目立つために、独特の「叩き」と言われる奏法に昇華して行ったんですって。
だから、津軽三味線には、叩き奏法と弾き奏法の二つがあるんですね。

そうして土着音楽として、津軽の自然風土を背景にしながら定着して行ったわけです。
三味線

戦後、津軽三味線が一気に全国に拡がりました。
テレビの普及です。
立役者は、三橋美智也さん。
そう、嶋三喜夫さんのお師匠さんです。
ここも晤郎ショーとこうしてつながっているというのは、ご縁ですね。
私たちは凄いものを見せられていたんですね。
嶋三喜夫さん

また、もう一方の立役者が高橋竹山さん。
1963年、津軽三味線のレコードを発表。
そこから津軽三味線は世界に、その存在を知られるようになりました。

こうして現在、木村善幸さんが日本国内で、またドイツで、現在進化系の津軽三味線を伝えられているわけです。

こんな歴史をちょいとポケットに入れて、9月の木村さんのキタラコンサートに向かう気構えです。
木村善幸コンサート Fitst contact

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