七草がゆ

セリナズナ ゴギョウハコベラ ホトケノザ スズナスズシロ これぞ七草

晤郎さんはこの流れで詠んでらっしゃいましたよね、春の七草。
もうこれが耳から体の芯にまで沁み込んでまして。
以前は覚えられなくて、また覚える気も無かった春の七草を、今ではスラっと言えるようになりました。

つい先ほど、別blogの「緑の命」で、春の七草の記事を書いたばかりですので、よろしければそちらもご覧くださいまし。
< 緑の命 「七草がゆ」
春の七草

さてこの「セリナズナ ゴギョウハコベラ ホトケノザ スズナスズシロ これぞ七草」ですが、短歌形式なんですよね。
五・七・五・七・七で。
だから覚えやすく、日本人にとって耳に馴染みやすい。

緑の命の方では、主に植物教育というポイントで書いてますので、どうにもムズムズしてしまいまして。
もっとこう書きたい!!というのがあったので、こちらのブログに書かせてくださいね。

「晤郎さんの春の七草は、耳に残りやすいリズムで整えられてるんだ!」
以前に、そう伺ったことがあります。
ただ読んでいるだけじゃない。
聞き手にどう残るのかを計算されて、練り上げられた結果、あの日高晤郎さんの名調子に仕上がっているのだと。

「セリナズナ ゴギョウハコベラ ホトケノザ スズナスズシロ これぞ七草」
これを一本の流れとして頭に残す。いや刻み込むと言った方が良いのでしょうか。
しかも心地よく。
そのためのテンポと言うかリズムと言うかがあったんですね、晤郎さんには。
そこが晤郎さんの芸の一面でもあるんだと。

私がこのお話を伺ったのは、晤郎さんが旅立たれた後でした。
この詠み人知らずの古い短歌をただ言うだけではなく、話芸の域まで高めているのが日高晤郎さんだと。
この時、とてもすんなりと腑に落ちたんです。

だから私の耳にも残ってるんだと。

春の七草

さてこの春の七草の短歌ですが、他にも何篇もあります。
あちらのブログでも紹介したのですが、私はやはりこの歌が好きです。

君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪はふりつつ 
(光孝天皇)

そして、この歌もいい。

しづの女が 年とともにも 摘むものは 春の七日の 若菜なりけり
(慈円)
しづの女とは、庶民の女性のこと。
年と共には、新年が来るたびにと、年齢を重ねてもという二つの意味。
では若菜はと言いますと、文字通り春の七草ということと、希望みたいな意味にも重ねられますよね。

次のこの歌も風情が好きなので、挙げておきます。

川上に 洗ふ若菜の 流れ来て 妹(いも)があたりの 瀬にこそ寄らめ
(読み人知らず)
川上から若菜摘みをした菜を洗った切れ端が流れ来るように、あの人が居るところまで近づいて行きたい。
そんな意味です。
若菜からくるその新鮮な気持ちを掛けているところが、昔のの日本人の心持ちを表していて、好きなんです。
春の七草

さて、正月に頑張ってくれた我が胃腸どのをいたわるように、お昼ご飯は七草がゆと致しましょう。
ということで。
ではまた。

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