年賀状の終わりと、郵便局の終わりと
☆年賀状じまい激増
「値上げ年賀はがき、発売開始」という記事を前に書きました。
郵政業務が赤字なので、郵便料金値上げで補おうという、現場を知らないお偉いさんの、いかにもやりそうな机上の空論。
どんなバカでも分かる決定的な悪手。
これはあれですね、郵政事業の上の人はただのバカではないですね。
極上のバカなのでしょう。
2025年元旦に流通した年賀状の数が出ました。
それによると、前年度比で34%減の4億9000万通なんだそうです。
この中には、相当数の年賀状じまいも入っていたと思われますので、来年はさらに減るものと思われます。
☆年賀状の大まかな盛衰
江戸時代では、年始状というのがあったそうです。
これが今でいう年賀状に当たり、飛脚が運んでいたといいます。
そしてこの時代にも年賀状というのはあったそうです。
これは年始状と違いまして、高齢の方へ出す長寿を祝うための年始状を、年賀状と呼んだんだそうです。
さて、日本で初めて葉書が発行されたのが1873年、明治6年のこと。
その内に、葉書による年始の挨拶が盛んになってきたので、1899年、明治32年に「年賀郵便の特別扱い」が始まりました。
この「年賀郵便の特別扱い」とは、通常の葉書に「年賀」と朱書きをして、指定の郵便局に事前に持ち込むのです。
この受付期間はほぼ現在と同じ。
それで指定局に持ち込まれた年賀状は、元旦に年賀状として配達されるというものです。
この年賀状制度ですがかなりの反響があり、6年後の明治38年には全国すべての郵便局で受け付け可能となり、その翌年の明治39年にはポストへの投函もできるようになったという事です。
これは明治44年の年賀状ポスター。
「御便利なる」という言葉に時代を感じますよね。
その後、年賀状は徐々に世の中に浸透し少しずつ増加。
昭和初期にかけて増加傾向は続き、昭和12年で8億5000万枚と戦前では最大数に達していました。
ところが、戦時中は物資不足もあってほぼ廃止。
そして昭和23年12月に制度再開。
その後増え続け、昭和40年代前半には10億枚突破。
そして年賀状のピークは2003年(平成15年)で、44億5000万枚。
そしてこの年代辺りから、社会が急速にデジタル化していきます。
これに関しては、以下の記事に書いておりますので、ご興味あればご覧ください。
< 日高晤郎ショーに関する、私の情報暗黒時代③
その2003年をピークに、年賀状は減少を続けまして、今年の元旦が10億7000万枚となりました。
世の中は、政府の無策と海外への意味の分からない税金投入で物価高と増税と外国人労働者厚遇などで、高い年賀状より無料に近いデジタルでの年始の挨拶に流れていくでしょう。
この消費者の郵便局離れはこれからさらに加速し、先人たちが気概を持って創り上げて下すったこの国の郵便制度はじり貧崩壊となるのだろうなと感じております。
こういう意味で、小泉純胃痔瘻はやはりカスだと思います。
そこから現在の郵政事業トップ陣の無能濃度が濃くなっていったように感じております。
☆手紙文化
こうして郵便局が目に見えてダメになって行ってますが、手紙を愛した日高晤郎さんはこれをどのように感じておられるでしょうか。
空の上から、どう見ておられるでしょうか。
年賀状が無くなりつつあり、手紙を書く機会も激減。
その代わりのデジタル通信では、日本語自体が徐々に衰退していくのは明白です。
私は、郵便局の衰退の背後に見えている、日本語の衰亡が哀しいのです。
なんとかならないモノでしょうかね、と空に向かって語り掛ける日々であります。