日高晤郎ショー・みとせの流行り歌1991年 その2
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☆ 日高晤郎ショーの1コーナー「みとせの流行り歌」九回目の記録
宮沢りえ サンタフェ
で。
ビックリしたのは、宮沢りえが脱いだ。
サンタフェっていう。
しかも新聞広告一面に出たヌード写真。
つまりあの頃ヘアヌードって言うのがブームになるちょっと前くらいで、これで線がパツーンと切れて大流行になって。
今なかなかないでしょ。
宮沢りえのあの見事に綺麗な裸身はね、本当に賞賛の的でしたね。
今はヌード写真で百万部超えるって言うのは無いんじゃないかな、誰が脱いでも。
まぁ剛力彩芽が脱いだら私も十冊買いますけどね。
誰にもあげませんから。
流行語
流行語が、何々じゃあ~~りませんか!
あれなんですって、チャーリー浜。
あっという間に消えちゃったよ、それよりも。
ダッダ~ンボヨヨンボヨヨン。
知らない?
どこの方だろ?あれアメリカ人でもない。
あの振り付け、ポール牧さんが付けたんだって。
後にポールさんは自殺をなさいましたけどね。
それからバザールでござーる。
これなんかが流行語であった。
流行歌①
じゃあと言って曲は?って言ったらね、この年は音楽的には今一つなんです。
KANの愛は勝つ、これなんかが出た年ではあったけれど。
とんねるずがまた歌ってたんだ、情けねぇってタイトルで。
こっちが情けねぇだ、バカヤロウ。
なんだかね、もっと凄いのがあって。
嘉門達夫、替え歌メドレー。
こんなもんどこで切りゃいいんだよ(笑)
ディレクターのヤマグチキヨシが小学2~3年、周りが皆歌ってたって。
俺達も、誰も知らない素顔の八代亜紀~♪ってのは残ってるね。
他はほとんど覚えてないけれど(笑)
時事
ただテレビニュースでは、やっぱりそうだったんだなぁと、あの火砕流。
あれがこの年なんですよ。
やはり今映像見ても恐ろしいですね。
みんな逃げて行くところへバァッと迫って来るあの速さね。
あれは雲仙普賢岳でした。
死者行方不明者43名という大変な事ではありました。
だから22年という間に、3.11も含めてね色んなものがあった。
その時に混沌としてるんだな。
アカデミー賞作品賞ってぇのは羊たちの沈黙ですよ。
それが日本のエロ映画が真似して、羊たちのチンポコっての作ったんですけど客は入らなかったですね。
主演男優賞主演女優賞、アンソニー・ホプキンス、それから、ジョディー・フォスターね。
非常に緊迫した面白い映画でしたよ。
ホラーに近いようなサスペンスで、ホプキンスがイギリスから出てきて演技力でアメリカを席捲したのが凄かったね。
春日八郎さんがお亡くなりになったのもこの年です。
お幾つだと思います?
67歳、お若かったんですね。
日高晤郎さん芸能生活30周年
私自身も記念すべき年だったんです。
実は私の芸能生活30年。
伊東さん覚えてらっしゃいますか?
32時間生放送。
はい、これやったんですよ。
めぐり逢い春夏秋冬。
5月3日の午前9時から、次の5月4日午後5時まで。
32時間生放送でした。
日高晤郎芸能生活30周年記念特別番組めぐり逢い春夏秋冬、思い出深いです。
50時間56分に比べると屁みたいな時間でしたけど。
流行歌②
紅白歌合戦にこの曲で前川清が出たのもこの年でした。
それ以前に団体で出ていたのはありましたが。
そして神戸、前川清。
実は内山田洋とクールファイブが発売したそして神戸は1972年。
単独で彼が歌ったのは1991年ですから。
そして二度目に、これはただ私の記憶ですが、彼が同じ歌を紅白で歌ったのが、神戸の大震災があった年ですよ。
その時に彼が歌ったそして神戸は、彼がそれまで歌ってきたそして神戸を越える大きな唄でした。
これはただの愛の歌ですが、その時の歌は神戸の人たちよ立ち上がろうよという歌の力ってあるなと感じた。
その時私は画面を食い入るように見ていて、感じました。
日高晤郎さん、芸能生活50年を超えて
1991年平成三年、今から22年前。
私が47歳でした。
そして芸能生活が30年。
あれからまた20年経てそれからまた今、年月を重ねています。
50年越えてやっと私は芸能が見えてきました。
削っていくものだ。
命も、それから余計な言葉も。
それをやります。
それをある時に語りでやります。
ある時に、ショーでやります。
今年は皆さまにご負担をかけ時間も頂戴し申し訳ない事ではありますが、その様を見ていただけませんか。
それが芸能ですから。
そしてラジオは、芸をやります、やり続けます、芸事をやります。
芸は草冠、つまり芸人というのは草の下の生き物です。
踏みつけられて、その下で強かに生きる商売です。
ですから皆さまよりもうんと下におります。
しかし、ハッキリ草の下に言うと書いてあります芸は。
それを言い続けるのは私は芸人の性根だと思っています。
けして皆様の足に踏みつけられたって、そこでしょったれたり、挫けたりせずに、顔を出した時に、まぁ聴いてください!って言うのが私はラジオ話芸だと思っています。
それに生きていきます。
これに付き合ってください。
お客様に御損のない様に、人生にあれがあって良かったなと思って頂ける瞬間をご提供できるまで修業に修業を重ねますから。
日高晤郎は、始まったばかりです。
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