死をどうとらえるか(師をどうとらえるか)
☆中村信仁さんの考え
先週FMアップル「中村信仁でナイト」にて。
ユーチューブで、晤郎さんの最後の放送とかを流している人がいることについて、言及されていました。
晤郎さんの弱った姿を、そうやって流さないでほしいと。
師匠の弱った姿をさらされるのが辛いと。
日高晤郎門下生・中村信仁さんの中で今も健在な晤郎さんは、御病気前の元気な晤郎さん。
だから、そのイメージを壊されたくないと。
その話しを聞いて、改めて浮かび上がった思いがありました。
☆私の考え
ついこの前まで、私はこの場で「日高晤郎ショー 最後の日」というタイトルの連続投稿。
その中には、私がその日スタジオで撮影した晤郎さんの写真も数葉掲載済みです。
私はその日、STVの廊下待機してたり、スタジオに入ったりで、色々見たんですよね。
スタジオに入ったときに、晤郎さんを撮影したのも、ある思いがあったからです。
「日高晤郎さんご自身が伝えたい、『ラジオ話芸人・日高晤郎』の全てを、知りたいと望む方に伝えたい」と。
そしてあれこれ考えた末に、こういうblogという形を採るに至っています。
☆日高晤郎さんは、最後に何を伝えたかったか?
「晤郎さんは、最後の日までに、私達に何を伝えたかったか?」
この問いを、どう捉えるか。
それによって当然その後の答えも変わってくる。
例えば、「晤郎さんは芸人なのだから、死に際のやつれた姿は世間に知らせたくない。」
この答えに類するものを選ぶ場合は、中村さんの考えが間違いなく正しいとなる。
そして、多くの芸人さんがこういう風に思っているのではないかと、私も考えている。
一方。
「晤郎さんは、命削って自分の道を全うする姿さえ、芸の内と決めていた。」
こう答えに類するものを選ぶ場合は、各自目をそらさず最後までなるべく多くを見聞し、自分の胸に刻みつけることが肝要だと思うのだ。
つまり、日高晤郎さんの最後に関しては、私はこちらだと思ってる。
☆日高晤郎さんの場合
2018年3月23日明日への贈り物Part3.
そのステージ上、6日ぶりに私たちファンの前に現れた晤郎さんは、一気にやせ細っていた。
ステージの間近に陣取っていたスタジオ常連さんたちが驚くくらいに。
しかも晤郎さんは自ら進んで、私達にその姿を見せられたのである。
通常ならば、病的な姿を見せたくないはずの晤郎さんが、あえてその姿をファンの前に晒したという事実。
更にこのステージには、STVからテレビカメラが入っていて一部始終を撮影済み。
この時の晤郎さんの姿は、会場に居たファンやお客さんだけでなく、より広範囲の人々にばらまかれる手筈は整っていたのだ。
事実その一部は、晤郎さんご逝去の後、どさんこワイドでも流されている。
(この写真)
そして最後の放送である翌日24日土曜日。
STVラジオ通常の日高晤郎ショー。
既にそこにはカメラが入っており、いつもどおりインターネット上に生放送で放送ブースの晤郎さんを全世界に向けて発信し続けていたのだ。
つまりその事は、晤郎さんは百も承知二百も合点。
ここでの録画も、後日テレビの追悼番組で流されている。
(その放送された画像を、どなたかがユーチューブに流しているという状況。)
つまり晤郎さんが、この状況で最後に選んだのは、「命削って自分の道を全うする姿さえ、芸の内」
そうした決断と覚悟を私はあの日感じていた。
私はそういった判断から、最後の最後、晤郎さんが涙しながら行ったラストメッセージだけでは歪曲されると考え、連続投稿の「日高晤郎ショー 最後の日」を書いたという経緯。
☆死を、どうとらえるか
大切な人の死を汚したくはないという思いは、ファンなら皆同じ。
だから、中村信仁さんの思いが間違っているだなんて、私は微塵も思ってはいない。
事実から目をそらして、自分の心の喪失感が癒えるまで安静にしておくというのも立派な手段。
ただ私の場合、あの姿で多くのファンに現実を伝え、本当にこれまでの宣言の通りに見事に命を使い果たして去った偉大な人から、目をそらさないという手法を採っただけの話。
痛みは皆、同じ。
それは間違いない。
日高晤郎さんは、実に立派に旅立たれた。
だから私は、そこから目を逸らしたくないだけ。
晤郎さんの死をどうとらえるかは、師の姿勢をどうとらえるかと言うことなんだと、私は思うのです。