2020年3月1日 / 最終更新日時 : 2020年3月24日 kazuhiko 最後の放送 「日高晤郎ショー 最後の日」2時台Part5 富山のボウリング場の名前で盛り上がった時間。 歌人さんたちのこういう表情、普通の番組では見られないって思うんです。
2020年2月29日 / 最終更新日時 : 2020年3月24日 kazuhiko 最後の放送 「日高晤郎ショー 最後の日」2時台Part4 「浮き世浮き玉人生相談」このコーナーだけは唯一、日高晤郎ショーの中で、晤郎さんが言い出してラジオネームが許されていたコーナー。 なのでこの富山からの投稿者さんにはなんの落ち度もない。ここまで言われて本当にお気の毒だと思う。 晤郎さんは瀬戸際の戦いをしながら2時台までやってきた。意識も朦朧としているのだろう。
2020年2月28日 / 最終更新日時 : 2020年3月24日 kazuhiko 最後の放送 「日高晤郎ショー 最後の日」2時台Part3 2時台のスタート。チャラから涙唱ときて、さいはて港町。 放送だけでは伝わらない裏側の部分、それをスタジオで直接目にできたことは宝物だった。この三曲の間に、晤郎さんの心と体はついに大きく変化したのだと思う。 最後は、こおりさんへの遺言。 そういえば、この投稿をしている今日は、晤郎さんの誕生日。
2020年2月28日 / 最終更新日時 : 2020年3月24日 kazuhiko 最後の放送 「日高晤郎ショー 最後の日」2時台Part2 静かに目を閉じて、歌人の歌を聴く晤郎さん。 時折、目を開いて穏やかに天を仰ぐ。 晤郎さんは、とてもしあわせそうだった。 私は静かにシャッターを押した。ここに居ない誰かのために、これを伝えねばという思いが強く沸き上がった瞬間だった。
2020年2月27日 / 最終更新日時 : 2020年3月24日 kazuhiko 最後の放送 「日高晤郎ショー 最後の日」2時台Part1 スタジオで直接、この最後のチャラを一緒に歌えて良かった。あの晤郎さんが、カフ上げを忘れてスタジオで歌うシーンが、今も瞼に焼き付いている。この命懸けの晤郎さんのチャラへの思い。とても哀しく、とても大切に変わっていった2日間となった。現場を目にすることのできた私は、しあわせだった。