日高晤郎ショー みとせの流行り歌 1983年~その2
☆1983年の世情
ゴルフのアメリカPGAツアーにて、青木功さんが日本人として初優勝。
カシオGショック発売
NHKでおしん放送開始。
戸塚ヨットスクール事件。
東京ディズニーランド開園。
三宅島大噴火。
これは晤郎さんが、ピックアップされたこの年のトピックス。
1983年流行り歌
そして二曲目に選曲されたのは、大川栄策さんの「さざんかの宿」でした。
この年に晤郎さんは、ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーとは別に、名古屋の方でもう一つ番組を持たれていた、但し、録音番組。東京で録音されていたらしいですね、これはそこでの話。
クラウンレコードの方で、日高晤郎さんの歌手デビュー時の恩人でもある方。その方が、是非日高晤郎さんの録音番組に新人歌手を連れてきたいと申し出があった。勿論晤郎さんが断わるわけもなく、その新人歌手とそこで出会うことになる。それが、鳥羽一郎さんだったそうです。
いつくかのエピソードの後、晤郎さんは男と女の道行きを語り始めます。
自分が生きてきた歴史を全部捨てて、それでも振り返らずに向こうへ行くという女。
そういう女に酷なセリフを吐く男。
一生愛してくれるかわからない男へ、人生を懸ける女。
この歌を評して晤郎さんは、一幕の芝居とおっしゃった。
最初の夢芝居へと輪を結ぶ晤郎さんの言葉の妙。
「たゆとう如くしなるが如く、櫓が、この二人のこれから行く恋の道行きへ忍び寄る闇を上手く活かしていて、、、。
しなる櫓は、やがて男の忍び泣きか、それとも女の別れの歌なのか、、、。
ちあきなおみの最高傑作。」
この名調子に乗って流れてきたのは、矢切の渡し。
ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショー30周年記念コーナーみとせの流行歌、初回のトリでありました。
※裏blog「日高晤郎さんへの手紙」2019年10月19日投稿より転載
< みとせの流行り歌 1984年へ続く。