日高晤郎さんと、ガメラ~その2
< 日高晤郎さんと、ガメラ~その1よりの続き
☆ゴジラ派かガメラ派か?
いやいやごめんなさい。
ほかにも色々あるのは充分承知しては居りますが、ここはこれ、blogと言うことでご容赦ください。
私が子供の頃の、どっち派か問答。
馬場派か猪木派か?
ウルトラマン派か仮面ライダー派か?
目玉焼き派か卵焼き派か?
そんな感じでどっちかを選ばねば軟弱であると決めつけられてしまう、そんな時代と地域性が、私の周囲ではあったのです。
そして、ゴジラ派かガメラ派か?
当時、映画館は超贅沢。
なので、白黒テレビにたま~に載る怪獣映画はむさぼるように観てました。
目茶苦茶強くて怪獣怪獣してるゴジラ。
でも私は、戦いで大怪我をして、海底に逃げてじっと傷が癒えるのを待って再び立ち向かうガメラが大好きでした。
友達はたいていが、ゴジラファンではありましたけど。
昭和の時代の、佳い思い出です。
☆日高晤郎さんとガメラ
1965年、大映を去った晤郎さん。
同年11月大映から公開された、大怪獣ガメラ。
当時晤郎さんは、どういう想いでこの映画をとらえていらっしゃったのだろうか?
映画屋たちが創り上げていく作品の新機軸と容認されていたのだろうか?
それとも、映画界の堕落の兆しと視てらっしゃったのだろうか?
ともかく、晤郎さんが在籍されていた大映から生み出されたガメラ。
子供たちに迎合する作風だった。
そしてやはり、あのゴジラの後塵を拝している日々を送っていたのだ、昭和までは。
昭和46年(1971年)12月、大日本映画製作会社(大映)倒産。
俳優・細谷新吾さんが去って6年後の事でした。
☆衝撃の、平成ガメラ誕生
昭和49年(1974年)。
徳間書店傘下として、再建合意。
大映映画株式会社設立。
そして時代は平成になりました。
平成7年(1995年)3月、のちに平成ガメラと呼ばれる第一作「ガメラ 大怪獣空中決戦」公開。
徹底的な現実感の追及と、設定の再構築で、のちの怪獣映画に多くの影響を与えています。
またこの作品は、世界最古の映画賞でもあるキネマ旬報ベスト・テンに、怪獣映画として初の入賞。
同年の6位を獲得しています。
ストーリーも、昭和ガメラから引き継ぐべきところは引き継ぎ、一新させるべきものは大胆に一新されていました。
とにかく、敵怪獣が怖いし、とても生物的。
ガメラ自体も、これまでのように酔っ払いのションベンみたいな火炎放射ではなく、砲弾のようなプラズマ火球。
そのプラズマ火球を森で発射すると、爆風でガメラの周囲の木々が大きく揺れるほど。
怪獣映画が、大災害や戦争を暗喩したものとして帰還した記念すべき一作だと思います。
ともかく衝撃の作品で、昭和で肩身の狭い思いをしていたガメラファンの私の留飲を下げてくれた作品となりました。
ガメラ 大怪獣空中大決戦は、当然大ヒット。
続編が創られて行く事になります。
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