東日本大震災と、日高晤郎ショー

☆東日本大震災から、今日で9年

2011年3月11日金曜日、14時46分18秒。宮城県沖を震源とする大地震が発生。
そして発生した大津波。
多くの人がお亡くなりになり、日本中が大混乱に陥った。

地震発生から約一時間後には、原子力事故としては最大評価となるレベル7の福島第一原子力発電所の事故が発生。
刻々と変化する災害発生を伝える映像に私たちは言葉を失い、絶望に似た脱力感に襲われた方も多かった。
まさに、悪夢。
壊れてしまったハードディスク

☆翌・土曜日、日高晤郎ショーは放送されるのか、否か

翌、土曜日、私は放心していた。日本はどうなる?
そんな不安を抱いて、まだ小さかった長女と長男の手を引いて、携帯ラジオをポケットに目的もなく札幌の街をふらついていた。
携帯ラジオに片方だけのイヤフォン。ラジオからは悲惨な状況が重ねられていく。

「晤郎さん」
8時が近づく。「晤郎さん、晤郎さん、、、」
心の中で、何百篇もつぶやく。
「日本が、壊れていきます、晤郎さん、、、」

8時、私たちは大通公園のテレビ塔の前に居た。
風景が、すべてぼんやりしていた。

☆東日本大震災と、日高晤郎さん

いよいよ、通常であれば日高晤郎ショーの始まる時間。
息を飲む。
晤郎さんは、放送されるのか?それとも報道番組に切り替えられるのか?
この瞬間、私はイヤフォンに全神経を集中していた、それははっきり覚えている。

8時。
静かに、しかしはっきりと、実にはっきりと晤郎さんの声が聞こえてきた。
とても冷静な晤郎さんの声。

「お父さん、なんで?」と娘が問う。
指で目を指し示している。
自分でも気づけない精神状態、、、私は泣いていたのだ。

晤郎さんが、いつもと違う語り掛けで、私たちに冷静を呼び掛けている。
何と言う言葉の力。
大きく深呼吸。
ここも間違いなく覚えている。
私はこの瞬間から、冷静に戻れた。

そしてここから9時間、晤郎さんは一切の休む間もなく、混乱する私たちに正しく語り掛け続けて下さったのだ。
どれほど多くの人たちが、この9時間に救われたことか。
報道の正しい力を見せつけた9時間ではあったが、残念なことにその事実を知る人は案外少ない。

9時間の最後の1秒まで無駄にせず、日高晤郎さんはラジオのこちら側の私達に、希望と冷静と理性を持つ事の大事さを伝え続けて下さったのだ。
1秒も無駄にせず、だ。
壊れてしまったハードディスク

☆その日を記録したハードディスクドライブ

その日、私は自宅でこの9時間をICレコーダーで録音していた。
帰宅してすぐに、その音声データをパソコンに移した。
それから毎年、3月11日が近づくとその9時間を聴き返していた。

その一言一言の姿勢が、とても深い学び。
(言葉にも姿勢があると、私は思うのです。)
この9時間を、いつか知らない誰かに伝えるために。

ところが、数年前にそのパソコンが壊れた。
2011年3月12日土曜日の午前8時から午後4時59分までの日高晤郎さんの報道が、再生できなくなってしまったのだ。
不勉強な私は、この時間まで、パソコンに保存しておけば大丈夫という根拠のない安心感を抱いていた。

愚かだ、、、つくづく愚か。
東京の専門業者にデータ吸出しを見積もってもらったが、約25万円かかるという。
更に試みても、その情報が取り取り出せるかどうかは不明だという。
更に、一度分解したハードディスクは廃品になるという。
愚かだ、全て愚か、、、、。

もしかしたら。
もしかしたら将来、とてつもない技術が開発されて、私の死後に再生可能となるかもしれない。
それはそれで、とても喜ばしい事だけど。

そんな、壊れた思い出のハードディスク。
この中に、大切な大切な、日高晤郎さんの東日本大震災報道が今も残されている。
壊れてしまったハードディスク

東日本大震災から9年。
私は、日高晤郎さんの3月12日も、風化させたくはない。
今も変わらず、そう思う。
強く、強く、そう思う。

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