☆「日高晤郎ショー 最後の日」伝え聞いた晤郎さんの姿

前回より続く。

☆全身全霊を傾けて

スタジオの客さんや、握手に行った廊下組のお客さんから後で聞いた話。

晤郎さんは放送終了後、車イスでスタジオを後にされたそうだ。
自力で歩けないほどに疲弊されて、それでも9時間の日高晤郎ショーを、私達に届けて下さった。

そこまでして、、、。
日高晤郎さんは、私達に言葉を残して下さったのだ。
凄い人だった。
凄い番組だった。
誰もがそれぞれの形で、凄い出会いを経験させてもらった。

実はこの前の週。
第一スタジオ内のお客さんに対してだけのメッセージも伝えられていた。
「私は、次回の治療で、命を落とすかもしれない」
そう。
だからこの日は、覚悟の上の9時間だったのだ。

☆9時間を通しての遺言

最後の放送。

晤郎さんの最後のメッセージについては、あちこちでピックアップされて伝えられている。
でも。
晤郎さんが全身全霊をかけて紡いだのは、9時間丸ごとである。
けして、4時台終わりのラストメッセージだけが大事なのではない。

最後のメッセージだけでなく、各時間帯あちこちのメッセージを分割して伝え続けるのでは、間違いなく不完全。
この日の晤郎さんの言葉や様子や姿勢など、9時間全体を通してみた時に初めて強いメッセージ性を伴った遺言の形をとると、私には思えてならない。

私が、こういうblogもしくはホームページの形ででの最後の放送全体を残そうと決心したのは、そう言う考えからである。

勿論、これでもまだ不完全。
けれど、後世の誰かの一段にはなるかもしれぬ。

blog記事「日高晤郎ショー 最後の日」は、全100投稿。
どこかで、これが私なりの「日高晤郎さん三回忌」だと思い書き綴ってきた。
またこれは、最後の最後、聖地STV第一スタジオを車イスで去らねばならなかった日高晤郎さんへの、私なりの敬意と謝意も含めたつもりである。
おっと、話が脱線してきたので、リセット!

☆最後の放送の夜、「なんでやねん」にて

最後の放送終了後、お好み焼きの「なんでやねん」にお邪魔した。
時々少し涙ぐみながら、いろんな方と晤郎さんの話をした。
腹水の溜まったお腹が、肺を圧迫していたのかも。
そんな話も聞いた。
意識が途中何度か混濁していたようだ。
そんな話も聞いた。

でも、そこに居る多くの皆さんが、晤郎さんの復活を信じ込もうとしているようだった。
放送終了後5時間、みなさんとずっと語り合っていた夜だった。

☆「日高晤郎ショー 最後の日」お別れの時へと続く。

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